この日、信さんは城下の大街道
という町を歩いていたところ、 ── 池内のオイサン。 という旧藩士に呼び止められた。池内信夫と言い、父の平五郎とは同じ徒士目付をつとめていた老人で、むかしから親戚同然に付き合っている。ちなみにこの人の四男は清といい、のち高浜家に養子にゆき、俳人高浜虚子きょし
になる。 「めずらしかろう」 と、オイサンは言った。自分をもっと懐かしがれ、と言うのである。明治三年、県では旧藩士に対し、農業や商業に転職する事を許し、さらに居住の自由も許し、むしろそれを奨励した。池内信夫はこれ以上城下にいても飢う
えるばかりだと思い、いちはやく百姓になる手続きをし、県から屋敷料と引越料を下賜かし
してもらい、一家をあげて県下風早かぜはや
郡西ノ下という農村に移った。今日は久しぶりで松山に出て来たから、 「もっとめずらしがれ」 というのである。 「立ち話はいかん」 と、オイサンはあたりを物色した。立ち話というのは町人百姓のするもので武士のすべきものではないという、しんな旧藩以来の習慣が抜けないのである。物色すると、小間物屋の店先に床几しょうぎ
があった。ひとの店先ながら、オイサンは無断で腰を下ろした。 このあたりも、町人に対して威張いば
っていた習慣が抜け切れぬらしい。 「もう、お知りかな」 と、オイサンは言った。信さんは立ったまま、 「なんのことです」 と言うと、 「ああ、まだお知りんか、大阪に師範しはん
学校というものが出来たぞ、なもし、これはあんた、無料ただ
の学校ぞな」 と、容易ならぬ事を言った。信さんは驚いて問いなおすと、 「詳くわ
しゅうは、あし・・ も知らんがな。そじゃけどおかしいのう、あんたの父の平五郎殿は県の学務課に出とらすというのに、それをまだあんたに申されておられぬとは、どうされたかの。まあ、いっぺん」 池内のオイサンは立ち上がった。 「聞いてお見」 と言われて信さんはものも言わずに駈け出した。屋敷に駈け戻ると、父の平五郎は門のそばで、何やら薬草のようなものを植えていた。 「師範学校の件、ありゃ本当かやァ」 と言うと、
「たれから聞いたぞな」 という。わけを話すと、平五郎久敬は、 「本当じゃ」 と、やっと言い、なおもへら・・
で土を掘りつづけている。本当ならなぜ教えてくれなんだと恨うら
みがましく言ってみたが、平五郎はとりあわなかった。 平五郎の言うには、まだ一般に御達示おたっし
もおこなわれぬのに、そういうことを家族にだけ明かすことはならんのじゃ。ということであった。 とにかく信さんの聞きたいのはそういう役人道徳でなく、入校についての規則だった。 それを気ぜわしく質問すると、平五郎は、 「ここでは申されんけれ、あす役所へ来こ
りゃええがな」 と言う。一般同様に役所へ来い、その上で規則を教えてやる、という。このあたりはどう見ても旧藩の習慣どおりの物がたいお城役人でしかないのである。 |