〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-V』 〜 〜
── いつまでも、いつまでも お元気で ──
特攻隊員たちが遺した最後の言葉

2014/09/15 (月) 

麻生 隆 22歳 大尉

母上様此度このたび 、隆にも特攻の大命下り沖縄へ出撃する事になりました。今までの手紙で大体気付かれておられる事と存じますが、固より生還期すべからざる特攻攻撃隊です。今書く手紙が絶筆となるわけです。
思えば隆の行く末を楽しみに暮されて来た母上に私が廿三にじゅうさん の若年で清く散華して行くのは多分悲しい事でしょう。
全く自分が京都帝大まで学業を進める事も出来たのは皆父上母上のお陰で、静に考えれば済まない気持がひときわになって今までの親不孝がひしひしと身に迫って来ます。
下関で、まだ自分達が幼く手足纏いにしかまらなかった時から小学校を父の入院等種々の心配の中に大阪の中学校を出て高等学校にはる か別れる様になるまで幼心にも色んな苦しかった事楽しかった事が次々に浮かんで参り結局は可愛い幸子の笑顔に変って行きます。
幸子も大阪駅で別れる時はさび しそうでした。何時いつ も会う度に変わった服装なので変に思っているでしょう。
只今は○○基地に出撃の日を待っています。昨夏台湾に渡る時を思えばすべ てが変わり前線気分が緊張した生活様式を創り出しています。
私の戦友で先輩吉田節朗少尉殿も既に突入されました。少尉殿の最後の手紙に貴様が来る時必ず俺が誘導して戦果を挙げさせてやると云って居られるので自分の腕を顧みて自信満々突入して参りますから御安心下さい。
吉田少尉殿の住所は大阪府山田村大村貞一様方 (吉田ゑん) ですから何時か母様に御礼状を出して下さいませんか。
最後に未練がましく書きたくはありませんが、只母上様には自分の成功を祈り下さい。
上京した際茂と会えなかったのは残念ですが母上様よりよろしくお伝え下さい。
末筆ながら母上様、美代子・治子・勢津子・幸子・皆んなの御健康御多幸をお祈りします。
   敬 白

『いつまでも、いつまでも お元気で』 編:知覧特攻平和会館 ヨリ
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