〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-V』 〜 〜
── いつまでも、いつまでも お元気で ──
特攻隊員たちが遺した最後の言葉

2014/09/09 (火) 

佐藤 新平 23歳 少尉

お母さん江
 思えば幼い頃から随分と心配ばかしおかけしましたね。腕白をしたり、又何時いつ も不平ばかし云ったり。
眼を閉じると子どもの頃のことが、不思議なくらいありありと頭に浮かんで参ります。
悪いことなどすると神様に謝らせられたち、又幼い頃 「今日の良き日をお守り下さい」 「今日の良き日を有難うございました」 と毎々拝神はいしん のことをやかましく云われたお母さんでした。
 今日になり本当にあの頃からのお母さんの教育がどんなにか新平のためになった事でしょう。病気で心配をかけたり、又苦学の時も随分と心配をおかけしたり。
苦学と云えば、家を出発する時、台所でお母さんが涙を流されたのが、東京にいる間中頭に焼きついて、あの頃どんなにかかえりたかった事かもしれませんでした。
 お母さんの本当の有難味が解ったのは東京へ出たからでした。あれからは余り家に居る事もなく、ゆっくりお母さんに親孝行をする機会のなかった事だけ残念です。
 軍隊へ入ってお母さんにお会いしたのは三度ですね。一度は去年の休暇、二度目は去年の暮近く館林まで来ていただいた時、あの時は新平嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
わざわざ長い旅をリュックサックを背負って会いに来て下さったお母さんの姿を見、何か云うと涙が出そうで、つい、わざわざ来なくても良かったのに等と口では反対の事を云ってしまったりして申しわけありませんでした。
 あの時、お母さんと東京を歩いた思い出は、極楽へ行ってからも、楽しいなつかしい思い出となる事でしょう。
 あの大きな鳥居のあった靖国神社へ今度新平がまつ られるのですよ・・・・・。手をつないでお参りしましたね。今後休暇で帰った時も、お母さんは飛んで迎えに出て下さいましたね。
 去年の時もそうでした。
 日本一のお母さんを持った新平は常に幸福でした。
『いつまでも、いつまでも お元気で』 編:知覧特攻平和会館 ヨリ
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