〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/09/02 (火) 頼 朝 の 死 (二)

頼朝の死は、世を驚かせた。
なにしろ、つい昨日のように思われる上洛の日から、わずか四年後のことである。
「御年も、まだ、五十三と聞くに」
と、その死因には、都あたりでも、疑いを持つ者が少なくなかった。
が、それはそれとし、頼朝には、あの上洛中の百日余こそ、思えば、彼の生涯の中でも、得意の絶頂であったろう。
大仏殿の落慶式に臨み、政子や姫たちには都見物をさせ、朝廷とも往来したり、洛中は、曠世こうせいにぎ わいだった。平家の世盛りもおろかに見えた。かつての、平家一門などとちがい、その強大な武力と、武家幕府を背光はいこう とした天下人のすがたには、草木もなびく威があった。
── しかし、それからの頼朝は、というよりは、源家の衰運は、まるで、つるべ落しの秋の だった。
まず、あれほど、夫妻して可愛がっていた長女の大姫にも、翌々年、死なれてしまった。この姫と、木曾の人質の子との初恋は、たれ知らぬ者はない。その義高を、頼朝が殺したこともかくれはない
姫は、それからの十四年間 ── どんな縁談も嫌って、死ぬ日まで、その初恋を抱いて病みとおした。だから、頼朝夫妻にすれば、こんなにも、親に苦労をかけ通して くなった子はあるまい。── また一面、身をもって、親の反省を いてやまなかった、いたいたしい病身の子と、いえなくもない。
なにしろ、頼朝は、ひどく落胆した。政略のうえからも悲しんだ。というのは、この姫を、彼は、後鳥羽帝の後宮こうきゅう へ、入内させる腹でいた。── 上洛のさい、伴って行ったのは、それの運動でもあったのである。
だが、その望みは、姫の死によらなくても、いずれは、不成功に終わったに違いない。
宮廷内には、大納言通親や丹後ノ局を中核とする次の陰謀が、いつの間にか育っていた。
── ある重大なという秘密裏ひみつり嫌疑けんぎ の下に、九条兼実は、職をやめさせられ、兼房は太政大臣を退き、嫡子左大臣良経は門を閉じ、兼実の弟の慈円じえん もまた天台座主てんだいざす の位置をくだるなど、つまり関東方の勢力は、根底こんて からくつがえされてしまったのである。
そのうえにも。
六波羅の一条いちじょう 能保よしやす という、頼朝の手足ともいうべき妹婿いもとむこ も病没した。
もちろん、頼朝は、中央の、あらわな反幕府のちょう を、黙視しているものではない。
あらゆる対策は、講じていた。そしてまた、
「来年ともなれば、再度上洛して、 みずから、一切を処理してみせる。その日には、次女の乙姫を連れて上がろうぞ」
と、下向した公卿へも、明言していた。
ところが、春も待たず、その年の暮、ちょっとした落馬がもと で、病床につき、正月十三日には、もう死期に会っていたのである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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