「どうです、お母さん。たまにはですよ
── 」 と、婿の安成が、説法するような口吻
で、すすめるのだった。 「家事も大切でしょうが、こんな晩春のよい日和ひより
を、土龍もぐら みたいにしていることはないでしょう。あす、お弁当でもこしらえて、わたくしたちと御一緒に、出かけませんか。損ですよ、あなたのような御一生は」 「どこへです。出かけるって」 「たいへんな人出でしょうが、あす、将軍家のみだい所、若君、御息女方ごしょくじょがたなどが、おそろいで六波羅をお出ましになり、鳥羽とば
からは御船で、摂津の四天王寺へおん詣もう
でになるそうです。── なんでも、お召船めしぶね
は、丹後ノお局の御所有をお貸し遊ばした物とかで、それだけでも、見物に行くねうちはある。おそらく、平家全盛の時にもまさる御供やら何やらの立派さだろうと、町ではもう今日からそのうわさで」 「だめ、しかられますよ、そんな物を、見に行きたいなどと言ったら」 「だから、わたくしたち夫婦で、お父さまへお願いしようと、申し合わせて来たのですが」 「訊き
かないでも、良人のお叱言こごと
は、分かってますよ。・・・・まだまだ、泰平に見えても、世間には、食べられない人たちもたくさんいる。どこの隣近所も、みな楽しげに暮せるような日が来たら行け、といいます」 「そんなことを言ったって、この世の中に、たれ一人も困らないなんていう世の中は、百年待っても、来るはずはありませんよ」 「そういうんだけれど、あの良人ひと
はにはだめです。それで、おまえは、自分一人楽しめるのかと、いうだけですから」 「おしかりを覚悟で、わたくしから今日は、お願いしてみましょう。いくらなんだって、これじゃあ、お母さんがお気の毒だ。そのうちに腰が曲がってしまう」 「もう曲がりかけてますよ。あの良人ひと
の髪だって、真っ白だもの」 「── 御書斎ですか、今日は」 「いいえ、今日は、検非違使けびいし
へお勤めの、なんとかいうお方の御母堂を診み
に行きました」 「なあんだ・・・・。お留守なら、気がねなしに、もっと、大きな声で、おやじの悪口を言ってもよかったんだよ。なァ円まどか
、はははは」 と、婿は急に、大声で笑い出した。 すると、薬研やげん
部屋べや の弟子童わらべ
が、玄関へ出て行く気配がした。まもなく三人の所へ来て 「── お客さまですが」 と、告げた。婿の安成が立って行き、そこへ佇たたず
んでいた者へ、 「どなたですか、いずれからお越しで?」 と、愛想もなく訊たず
ねた。 |