藺笠
も脱と らず、客は、式台の外に立ったままでいる。背がすぐれているだけに、服装の貧しさがよけい目につく。草鞋わらじ
ばき、肩から懸けた旅包み、垢あか
くさい旅武者たるは、問わずとも、分かっていた。 「おあるじは、おいでであろうか、麻鳥どのに、お会い申したいが」 「あいにく、不在でございますが」 「いつお戻りかな」 「さ。・・・・そのほどは」 「夜は、御在宅か」 「と思いますが」 「・・・・では」
と考え込んで 「それでは、また、おりを見て、お訪ねいたそう」 案外だった。物乞いや強請ゆすり
でもなおく、すっと、帰りかける様子に、安成はかえって、あわてて、 「あっ、もし。御尊名は」 「いや、お目にかかれば分かります」 「でも、後で帰宅のさい、お訪ねの由を、申さいではなりませぬ。お名前も伺っておかぬことには」 「さとう・・・・。では、お帰りあったら、こうお告げ下さい」
と、旅武者は、ふた足三足、式台の内へ近づいて来て、何か、人の耳でもはばかるように、 「はやお忘れかも知れぬが、むかし少々の御縁もありし、那須大八郎なる者が、お門辺かどべ
まで、立ち寄りましたと」 「那須大八郎どのと仰っしゃいますか」 「ふとしたら、もいちど、お訪ねするかも知れず、都合では、このまま、お別れ申すやもしれませぬ」 そよ風のようだ。物静かに、露地の卯う
の花はな もこぼさずに、小門の外へ消えて行った。 あとで蓬よもぎ
が、 「あ、そのお人なら」 と、若夫婦へ、思い当たった顔を見せたが、もう追いつかない。 それから、またしゃべりあって、ようやく、夜食の支度などに、かかり出していると、麻鳥が戻って来た。晩の膳ぜん
をともに、安成は、蓬のために、あした一日の暇をと、舅しゅうと
のきげんをうかがっていた。けれど、麻鳥の容子ようす
は、どうも変だった。── 単に浮かぬ色ばかりでなく、家の内を見まわして、 「どうやら、やっとわしも、施薬院の職を辞や
めるこtが出来そうだよ。・・・・だが、わしの蔵書、この家財、みな売り払うて、どれくらいな金になろうかの」 と、言ったりする。 蓬は、若夫婦を、気の毒がって、 「せっかく、遊びに来ているのに、あなたは、なんてつまらないことばかりを」 と、話を外そ
らした。で麻鳥も、一時は黙ったが、時たつとまた、あらたまって、こう言い出した。 「ほんとに、興きょう
もない顔を見せて、すまないなあ。だが、麻丸のことでなあ。・・・・ほら幼少から家出した麻丸さ。どうにもならぬことが起こった。それで、申しわけないが、蓬も当分、婿に家にでもいてくれぬか。──
わしはこの家をたたんで、ちと遠国まで行かねばならぬ。さてさて、おまえたちにも、とんだ相談だが」 「・・・・・・?」 蓬も、若夫婦も、ちんと、沈んでしまったままである。ただ何十年も連れ添って来た妻の無言は
「── そら、また始まった」 と、見ているのであって、あきれる張り合いもんまい顔だった。 |