〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/09/01 (月) かさ ら ぬ (四)

── 御発病は、その前年の十二月からで、御不食のうえ、下痢も加わり、侍医たちの薬治もむなしく、日をふるに従い、異様な御腹態ごふくてい に変わって来られた。九条兼実の日記だと “── 御腹ノ脹満チヤウマン 、殆ド、当月ノみごもり ノ如シ” とみえ、また、御高熱のせいか “── 崇徳ストク 、安コノ両怨霊ヲンリヤウ ヲ鎮謝ス” とあり、おん囈言うわごと なども、ままもれ伺われたものらしい。
およそ四箇月も、この御容態はつづいた。
天下に、大赦たいしゃ が布かれた。
崇徳すとく 上皇の御陵みささぎ の辺に、一堂を建て、また、安徳天皇のためにも、長門壇ノ浦に、供養寺が建てられるべし、と令せられた。
加持かじ 祈祷きとう 、いうまでもない。
灸点きゅうてん もすえられた。巫女みこ の一言までが、御病殿ごびょうでんめぐ る百官をうごかした。
── が、ついに、三月十三日とらこく 、法皇万歳 (崩御) となった。
しかも、こうした期間にさえ、日ごろ、鎌倉びいきとされている九条兼実は、とかく、おん枕辺の人びとから、疎外そがい されがちだった。── たれかといえば、法皇の寵妃ちょうき 丹後ノ局、高倉帝の乳母範子のりこ の夫大納言通親みちちか などの一派であった。
麻鳥も、御病殿では、否みようもなく、それらのものを感じた。で、後日となるや、
「ああ、変わっていない・・・・」
ひとり、つくづく嘆じて、
「わしが、朝廷の伶人れいじん を辞め、柳ノ水の水守みずもり となったころや、崇徳すとく の君が、讃岐さぬき でみまかられたあのころとも・・・・ちっとも、殿上は、変わっていない。こうして、御召しの役もすんだうえは」
と、その後さっそく、施薬院の公職を返上したいと、願い出ていた。
けれど、それは、なななかゆる されない。そのうちに、施薬院の医生安成へ、まどか を嫁にやる話が実現されたり、のっぴきならぬ医務雑命もつぎつぎに わされて、心ならずも、つい壬生みぶ に住みつづけて来たのだった。── だから、家にいれば、その不きげんやらしこりを、つい、老妻 ── かの女ももう五十をこえているのに ── とは、察しながらも、よもぎ へ、当るわけになる。
「・・・・どうなんでしょう。いったい、おとう さまとおかあ さんの仲というのは。しょう が合わないのやら、合いすぎているのやら」
まどか は、良人の安成へ、うわ調子に、
「わたしたちには、分からないでしょう。ほんとに、老夫婦のいい草なんて、どっちを聞いたって分かりはしない。そうそう今日は・・・・。ねえ、あのこと、あなたから、おすすめしてみませんか」
と甘え声で、安成へもたれるような姿態しな で言った。
ことしの初秋には、まどか も初めてのお産をしよう。そして麻鳥と蓬の両親を、やがて 「おじいちゃま」 「おなあちゃま」 と、呼ばせる体になっていた。その大きなおなか が人前もなく甘えたり、また男もいと しがる様子を見て、蓬は、遠く過ぎた日の自分を、眸の奥でひとりショボショボえがいていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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