「あら、お母さまはまた・・・・。もう、もう、そんな水仕事やらお掃除などは、小婢
にでも、おさせになって、おけばよいのに」 壬生みぶ
の片ほとり、近所もみな、一つ一つの小門構えや柴垣しばがき
をもっている。麻鳥夫婦が、ここの小邸こやしき
へ住んだのは、おととしごろからで、今では、弟子童でしわらべ
や婢おんな なども三、四名はおいていた。 「まあ、円まどか
。安成やすなり どのもご一緒にか。さあさあ、お上がり・・・・。幾歳いくつ
になっても、わたしの性分しょうぶん
で、こうなんだね。朝から晩まで、何かくるくる働いていないと、気がすまない」 「ほほほほ。お母さんてば、そのくせ、牛飼町のころでも広沢の小屋でも、いつになったら、楽が出来るのかって、のべつお父さまに、愚痴タダダラだったくせに」 「それがね、こんな小邸にでも、住んでみればみるで、施薬院のお人も来るし、いつきあいも要い
る。また良人うち のひとの性分で、貧乏人の世話を探し歩いているみたいだし・・・・。そして、わたしにばかり、むずかしい顔してさ。楽など、させてくれるどころかね。おまえ」 かの女は、手をふいたり汚い腰巾こしぎぬ
を脱と ったりして、嫁とつ
いだ円まどか と、婿の安成を、上へあげた。良人おっと
の書斎とは渡り縁をへだてた清酒な母屋おもや
で、弟子部屋には薬研やげんや
で薬を刻む音がしていた。 こんな家へ、麻鳥がつい住むようになったのも、後白河の御病気から ── と言えなくもない。もとより、宮中の侍医、都下の国手こくしゅ
が拝診のうえ、手をつくしていたこと言うまでもないが、いよいよ重らせ給うばかりと見られ、麻鳥を推挙する公卿が二、三あった。九条兼実も 「それ、よからん」 と同意した。けれど、殿上へ招きたいにも、一庶民麻鳥では、資格がない。で、彼を説と
いて、むりに藤氏とうし 私設の施薬院の一員に加え、法皇のおん脈をとらせたのである。壬生みぶ
の住居も、そのさいに、しいて移させたのだった。 しかし、拝診はしたが、そのおり、麻鳥は、 「すでに、おん手おくれかと拝し奉ります。百のもの九十までは」 と、九条殿へも、法皇の寵妃ちょうき
、丹後ノ局栄子へも、申し上げたことだった。 |