〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/29 (金) よし つね さい (三)

火の色は、急速に赤さを小さくし、暗紫色な光輪こうりんかさ をぼうと咲かせている。たとえば、ある日の落日の荘厳に似ていた。その中に、おあるじや、いとけない姫ぎみや、みだい所のお姿が、彼の眸にだけ見えた。彼は空想した。おそらく、炎を浴びるまえに、殿のお手の刃が、みだい所と姫ぎみを刺し、殿も同じ刃に伏せられたことであったろう。御苦痛もなく、殿もあのまま御満足なおん眉で、わけて、みだい所は 「── こうして、御一緒に死ねようとは、思いもしなかった倖せです」 と、およろこびすらみせられていたにちがいない。堀川へお輿こし 入れ以来の、さまざまな事情を考えても、きっと、そうであったろうとお察しできる。
鷲ノ尾にも、その想像と、お三方の満足さは、なんのつかえ えもなく、得心できた。そして、義経の心の端が、たれへもつながるその愛情の基が、分かる気がした。
すると、彼の頬を、涙が走り下った。
── 殿の、しの愛情を大きくしたものが、思えば、都じゅうを、あるいは、国の全土を爛らす戦火をして、ここだけの小さい炎ですませたのだと思い当たった。
また、鎌倉との戦いにでもなれば、何年にわたり、何万にのぼる「かも知れない人命の犠牲をも、おんみずからと、姫ぎみと、みだい所のお命だけで、事すませたのだという意味も、うなずかれた。
「ああっ、殿」
突然、立った。届かないものへ手が追うように。
そして、もいちど、義経から 「── 鷲ノ尾」 と、あの親しいお声で呼ばれたいような衝動にかられたものか、両の手を、宙へ振りさまよわせ、またその両の手を、胸の前に結んで、泣きじゃくった。
なんと、おれはばかな、うつけな。
ほんの一瞬ひととき でも、なぜおれは今、おあるじを疑ったのか。年来のお仕えも、無意味であったなどと、がっかりしたのか。
思えば、会い難い君にこの世でお仕えしたのだった。この果報を、生きて持ちつづけよう。ほかの面々も、お主の最後のお声を心に抱いて、思い思いみな落ちのびたに相違あるまい。
「そうだ、生きて、よい生涯を遂げることが、これからのお仕えだ。殿っ、どうか、お安らぎください」
彼は、そこへ伏して、生ける日のお人へ告げるが如く言っていた。そして、どこかへ立ち去った。
── ほどなく、夜は白んでいた。北上川の水に変わりはないが、御舘みたち の丘に、御舘は見えなかった。ただ野火ほどな余煙が、終日ひねもす 、遠くの野からも望まれた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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