〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/28 (木) よし つね さい (二)

「・・・・・・」
鷲ノ尾三郎は、見とれていた。
遠い夜空の光焔こうえん の、美しさに。
ここは束稲山たばしねやま か、陣場山か。鷲ノ尾は、考えてみたが、愚であった。
あの炎の下から、無我夢中で落ちのびて来たばかりである。ここの峠で、腰はおろしたが、まだうつつ は我に返っていない。
そのせいだろう。持仏堂も小舘も、一炬いっきょ としてしまったかなたの丘の火が、彼には、ぼんやり無感情にながめられていた。
泣いても泣ききれないほど悲しいはずのその焔が、
「・・・・アア、きれい」
と、叫びたいようなものに見える。
熱い火とも、思えなかった。冷たい、このうえもないしずか な光としか、彼の胸には映じて来ない。
そのうちに、思うともなく、
「弁慶どのは、どうしたろう?」
あわ つぶのように、頭にうか ぶ。
── が、つかめない。伊勢どのは、亀井どのは、たれたれはと、順々に考えてみるが、火の降る下で、追っつ追われつしていた人影が、幻覚としてあるだけだった。
いや、分からないといえば、彼にとって、もっと分からないのは、年来仕えて来たお人の心と、武門というものの勤めであった。
鵯越ひよどりご えの合戦のさい、義経の道案内を勤めたのが縁で、山家やまが そだ ちの、何も知らぬ小童こわっぱ が、家臣の中へ拾われて、足かけ五年、わらべ 武者として、おそばを離れず、仕えて来たものだった。いやお主にも、たれからも、可愛がられて来た果報者といっていい。
── が彼には、今夜のお主の最後の言も、堀川立ち退き以来の事情も、すべて、のみ込めなかった。それは、いくさわざわ いを起こさせないためかもしれない。だが、彼の常識では、戦は武者の職と知っている。なぜ、こんなにまで、無抵抗を通し、歯がゆい初一念のまま、死をも享受きょうじゅ しなければならないのか。お主のいう、正しき武門が立たないのか、それがよく分からない。
正直、彼はがっかりした。つまらないものだと思った。こんなことなら、百姓や商人の方がまだしもであると思う。故郷の山へ帰って、木樵きこり でもした方が、どんなに しか。
「・・・・・そうだっけ」
彼は以前、駄五六だごろく という雑兵を知っていた。その駄五六が、自分へ言ったことがある。 「── なに、武者のなれたのが、うれしくてたまらないって。ばかだなアおまえは。武者って、どんなものか、知らねえからだ。いまにみろ、生まれ故郷の山家が、どこよりなつかしい所になるから」 と。
── そこまで、彼の思惟が、我に返って来ると、彼は両手で抱えていた頭を上げて、もういちど、遠くのほのお を飽かずながめた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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