持仏堂には、朝夕の香華
も絶えたことがない。母の常盤ときわ
、父義朝のまつりはいうまでもないこと。義経が年来、心に忘れ得ぬ幾多の郎党や有縁うえん
などの、亡き人たちが祀まつ られていた。 中にはつい二ヶ月ほど前に、能登の配所で病死した平大納言時忠の霊位もおかれてあった。 ──
その数かず のうちへ。 義経自身も、今し、自ら入ろうとする。 しかし、そこへの、死の橋を、渡りかけたとき、さすが、三十一年の生涯が、振り返られた。 また、、今日まで、苦楽を供に
── いや楽しみは少なく、辛酸のみを多く舐な
めさせた者たちへも、もう一語、何か、詫わ
びたい気がした。日ごろに、それは尽くしていたが、相見るだけでも、もうひと目と、ふと思った。 「おお」 そこへ来て、一様にひざまずいた郎党たちは、平静なこと、水のような義経を見ただけで、何も言えなくなっていた。日ごろの主君の言が、真しん
であったことを、今さらのように、荒肝あらぎも
にこたえ、その悲しみの日は、 「いま来たか」 と、歯をくいしばるばかりだった。 義経はそこで最後の別れをみなへ告げた。── 自分こそは、勅勘ちょっかん
の身であり、鎌倉どのの追捕者ついぶしゃ
であるが、お汝こと たちには、なんら責めるもあるわけはない。 義経だに、世を終われば、必然、追捕のお沙汰も止もう。諸所、いずこへなと、身をかくして、農土に生きるなり、またよい主あるじ
を求めるなりして、生を完まつと
うするがいい。ゆめ、義経に殉じゅん
じるな。今日まで、お汝こと たちが尽くしてくれた真情は、不肖な主あるじ
には、倖しあわ せ過ぎるほどだった。このうえに、死をともになどと早まってくれるな。 生きてゆけば、お汝こと
らのうえにも、自然、なすべき使命が生じて来るだろう。だが、復讐ふくしゅう
の瞋恚しんい だけは、燃やすなよ。結果は、業ごう
の輪廻りんね と、血の歯車を、地上に繰り返すに過ぎぬ。保元、平治、それ以後も続いて来た、人と人との殺しあい、憎しみあい、あれを振り返れば、その愚がわかる。 なお、こうなっても、義経は兄をつれなくこそ思え、お怨うら
みしてはいないのだ。もし、骨髄からお怨うら
みするなら、兄夫妻が、あのような奸策かんさく
のもとに、むりにわしへ押しつけた百合野を、今日このごろのごとく、妻として、ゆるしはしない。どう愛そうにも、心から愛せるものではない。 それをすらわしは必死な気持で乗り越えた。一人を幸福にしたい気持も、人すべての幸福を願う祈りも、おなじ善意につながってこそ世に平和は成就じょうじゅ
されるものと信じるからだ。まして、これから先。お汝こと
たちが、旧主の怨みをはらさんなどという考えを起こしたら、義経の最期さいご
は、無残、犬死となるだろう。魂魄は宙に迷うぞ。── 末始終、義経が世へ祈るところを、お汝こと
らもまた、祈りとして生きてくれい。そして安穏な生涯を終わってくれい。 「それだけぞ、最後の頼みは」 義経は、じっと、深い目を一同へそそいで、 「さらば」 と、言った。 けれど依然動きもしない嗚咽おえつ
の影のかたまりを見て、 「さ。早く落ちて行け。義経は、それを見とどけて、安堵あんど
したい。立て、立て、いざ落ちろ」 と、せきたてた。 けれど、たれ一人、立つ者はない。声もない。すると。もう当然な敵の接撃だった。 ばらばらっと矢が来た後、むらがり襲よ
せた真っ黒な敵が、わっと、友軍を呼びあった。そして中の気負い武者幾人かは、長柄を振るって躍りかかった。 立ち向かって、弁慶たちが、それを薙な
ぎ払うすきに、義経は身を翻ひるがえ
して、持仏堂の内へ走りこんだ。 「あな」 と、伊勢三郎が、追っかけた。 「殿っ」 「殿」 弁慶も、敵をすてて、駆け寄った。鷲ノ尾、亀井、ほかの者も、みな堂の外に、足ずりして、むらがった。しかし、内から鍵かぎ
を差したものか、押せど、たたけど、扉とびら
は開かない。 そしてたちまち、真っ赤な閃光せんこう
が、内から映さ した。どこからもれるともない鮮麗な火の線である。黒い濃煙もぷすぷす噴き出して来る。一切を焼く焔ほのお
の音が、ごうごうと内で鳴るのも聞かれ出した。 すぐ、そこは人を寄せつけない大紅蓮だいぐれん
と化した。熱風はそれを旋めぐ
り、刻々に大きく拡がる。なだれを打って下った敵味方の小さい人影も見えなくなるほど、煙の傘かさ
がおおい、さらに火の塵ちり が追いかぶさった。
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