義経は白絹の小袖
の上に、緋ひ の胴巻だけをよろい、弓を把と
って、月見の台に出ていた。 この楼台うてな
は、以前住んでいた民部少輔基成が、月見の欄らん
とよんでいた広床ひろゆか だった。 脚下は崖がけ
に臨み、束稲山から衣川平野が一望にながめられ、後ろには、金鶏山きんけいざん
や中尊寺ちゅうそんじ の低い山々が、美しい弧こ
をかさねている。 ── が、今はそれも仰がれない。朝夕に見馴れた視界の何物もない。闇一色いっしょく
のうちに、霧のような血を含んだ戦風がここを吹き繞めぐ
るだけだった。 「時か」 と、彼は観念の底につぶやいた。 いつかは来るべきもの。 すでに、今夜の兆きざ
しは半年も前からあった。 「── いつ、万一の変があろうも知れぬ」 とは、彼にも予測されたいなかったわけではない。 秀衡の亡きあとも、その遺命を守って、義経の唯一の同情者であった泉ノ三郎忠衡は、去年の暮れ、殺された。 下手人は、兄の泰衡やすひら
だとは、世間にまでかくれもない。 その泰衡はまた、年を越えた二月、末弟の錦太郎頼衡よりひら
をも、殺した。── そのころから、もう泰衡の異心は、あらわれたあったのだ。 院や鎌倉の圧迫に耐えかねて 「背に腹は代えられぬ」 とする方針に決し、義経を討つに邪魔な者から除き始めたのである。 義経の侍臣たちは
「ここも危地」 と見。また 「── 弟を殺すほどな泰衡、しょせん、頼みに出来るお人ではない」 として、あの策、この策と、主君への献言も、一再ではなかった。 ふたたび、都へ帰って、再起を計るか。 さもなくば、われから伽羅御所を急襲して、泰衡を誅ちゅう
し、令を布し いて、一族の向背をたしかめ、従わぬ者は、これを討って、関東との境まで出で、御運命を賭か
けての打開をこころみるか。 ── もしまた、それもお心にそむくものなら、最後の手段に過ぎぬが、泰衡が暴挙に出ぬまに、ここを脱だつ
して、厄やく をのがれる道をとるしかない。 以上三ツの策、今なら択えら
ぶことも出来るが、もしこのまま、日をお過ごしあらば ── と、おりあるごとに、彼らは義経へ諫いさ
めていた。そればかりでなく、承意や仲教など三、四の者は、家臣だけの協議のもとに、密かに都へ奔はし
って。義経をふたたび中央へ迎えんとする下支度までしていたのである。 しかし義経自身は、心ひそかに、 「この地に、秀衡殿も亡き今は、なに長らえて」 と、近ごろはもう、ある観念に徹していた。 家臣らのすすめる三つの策は、そのどれも、行えば行えぬことはあるまい。けれど、これまでの忍従は何のためか。 いま、義経がまた、都へ帰れば、都は再び、戦争前夜の様相をよびお越し、諸民の迷惑はひと方ではあるまい。 急に泰衡を攻めて、奥州の指揮を握り、関東の兵と、対峙たいじ
するなどは、なおさら思いもよらぬことだ。── では、ここを逃げて、北の果て、氷の海の極みまで、落ちるとしたら、どうなのか。さまでは惜しい命かと人も笑おう。また幼い姫や、その母の百合野も、ここへ捨ててゆかれぬ。 「しょせんは、何もかも、義経に与えられた天命というものか。天意ならば、死のうもよい。その死が、天に辱じぬなら、義経が本心、また世への祈りも、いつかは、あの兄にも通じるであろう。世の人びとも、受けてくれよう。いや、後世ごせ
永劫とこしえ に、解わか
らぬとされてもいい。自分に悔いはないものを」 今も彼は、思いを、しずかな眉にすえていた。なんら動転どうてん
の色はない。 |