〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/25 (月) あだゆみ (一)

衣川の館は、こんもりと木の多い、丘の上にあった。
日ごろ。里人たちはそこを “高館たかだち ” とも “判官ノ御館みだち ” とも呼んでいた。
地勢的には、中尊寺をめぐ る低山群の、いわば離れ小山の一つである。中尊寺堂塔からも、また、平泉の中心をなす伽羅御所きゃらのごしょ からも、ともにものの十町とは離れていない。
そして当時も、丘の下は、北上川の流れに接し、東南方のぎし は、淙々そうそう の水に洗われていたかと思われる。
山上の館門やかたもん のほか、ふもとにも一門があって、随身ずいじん たちの小屋敷二、三十戸がその辺に一郭いっかく の侍長屋をなしていた。そして朝々、彼らは山上のお館へ通い、晩には、宿直とのい のほかは皆、ふもとの家へ退出して来た。── それほど、上の地域はせまく、建物も、いかめしからぬ小館こやかた だった。
「や、や、ただ事とは思えぬぞ」
当夜の変を、逸早く感づいたのは、もちろんふもとの面々だった。板戸の鳴る音、物具もののぐ を着込むひびき、戸外には 「── 出合えっ、出合い給え」 と、のども裂けそうな叫びがつづく。
夜討ちとは、すぐ知れた。また敵は、たの伽羅御所きゃらのごしょ のお人の寝返りぞ、ともみなののし った。
だ、どの方面から、どれほどな軍勢が来るのかは、見当もつかない。ただやみを縮めて来つつある駒音の潮が、いよいよ、間近いことは、確かだった。
「やあ、一人はここを けて、御館みたち の方へ、事の急をお告げ申せ、泰衡やすひら どのの裏切りたるは必定、お固めあれと」
だれかが怒鳴ったとき、鷲ノ尾と亀井六郎が駆け下りて来た。二人は大声を上げて、
「すでに山上でも、お抜かりはない。殿には、みだい所と、おいとけなき姫ぎみを、持仏堂へ移させ給うて、お身支度にかかられておる。弁慶や伊勢も、から舘門たちもん を固めておれば、案ずるな。ここの者どもは、ただふもとの木戸に って敵に当れ。小勢の味方を、いたずらに諸所へ散らすな、との仰せなるぞ」
と、義経の命を逆にここへ伝えた。
声も終わらぬうちに、敵の矢はもう驟雨しゅうう の烈しさを見せていた。小勢の場合、弓に対して弓を持つのは愚である。近々と寄せつけて、一が三にも五にも当るしか策はない。たちまちせき として、木戸の人影がみな隠れたのはそのためであったろう。── それを、寄せ手は、まんまときょ を衝いて、夜討の功を見たものとしたらしい。真っ黒に、 せて来るやいな、
「首尾はよいぞ」
「木戸を破って駆け上がれ」
と、みな馬を捨てた。
そして徒歩かち で山路へ取りつきかける。
当然、そこで凄惨せいさん な死闘が起こった。
不意を食ったのは、不意をついて来たはずの泰衡勢の方だったのである。まんじ となって、組む、斬りむすぶ、得物でなぐる。その咆哮ほうこう だけが、敵か味方かを知る唯一ゆいつ のたよりなのだ。暗さは、それほどだし、足場は狭く、がけ か坂道、なだれを打てば、北上川の急流だった。
もちろん、これは泰衡の主力で、ほか幾支隊の兵が、道もない木の間、岩間を、八方から じ登っていた。おめきは、ここだけのものではない。丘全体が れ、木々が呼び、人間はただ、その地表で狂気しているようにしか思われない。
まさに、義経の家臣にとれば、狂気もしたろう、鬼神にもなったであろう。彼らは、義経の心を心として、忍従一筋に、ただ、御主君さえ満足ならばと、胸をなでていたやから である。だのに、その最小限の安住すらも、世は、 れようとしないのか。
このうえはと、人間のすがた も捨てて、鬼となったのはむりもない。ふもとの防ぎはたれだったのか。伊勢三郎や弁慶たちは、どこで阿修羅あしゅら の働きをしていたか。
女童めわらべ下部しもべ を加えても六、七十名に過ぎない小館こだち の主従である。そのうち、幾十名が立ち向かって戦う男か。
── 泰衡方が、日ごろから、遺漏のないはかり を立てていたのはいうまでもあるまい。
一度は退いて、累々るいるい の死体を捨てたが、彼らは、すぐ二の陣を繰り出した。無慮千に近い兵数である。いくら犠牲を出そうが、目標はただ小さい丘の一つ、またたく間に、その全面を、軍兵の影で埋めてしまったのは、当然だった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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