〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/24 (日)  かん じん ちょう (三)

「なに」
と、しり眼をくれながら、弁慶は、わざとまた、落ち付き払って、
「なおまだ、御不審の候うか」
ただ さねばならぬ儀は、これからぞ」
「いかなる儀を」
「さいぜん、富樫殿へ申すを聞けば、客僧たちは、大仏殿建立こんりゅう 募財ぼざい のため、諸道へ派せられた勧進衆かんじんしゅう の由、ならば、東大寺の印可いんか は、御所持であろうな」
「もとよりのこと。それなくして、なんで世の浄財を、わたくしつの りえようか」
「ならば、まず勧進の文を、お見せあれ」
「おう、いとやすいこと」
弁慶は、後ろにいた仲教へ眼くばせして、おい の中の一巻を取り出させた。
そして、おごそかに、
「これは、造東大寺ぞうとうだいじ 長官藤原行隆卿と、勧進の大上人重源の御加判あるもの。かかる不浄な場所にて、見せ示す物ではないが、御疑念を持たるるは心外。つつしんで、拝されよ」
と、巻の文を、彼のほうへ向けてひら き、また、そのまま身をめぐらして、床上しょうじょう 一段高い所にいる富樫泰家の座へも、きっぱりと見せた。
「・・・・・・・」
凝視する泰家の眼が、やがて、うなずくかのように見えた。
すると、弁慶は、さらさらと、かん をまき収めて、頂礼ちょうらい した後、仲教の手へ、すばやく、それを返してしまった。
問答坊は、満足したとも見えなかった。だが、言い懸りのつけようもなく。
「勧進の文は、諸道一様なりとの由。そのためか、いつわ りの印可を持ち歩く悪僧も、ままあるやに聞き及ぶ。客僧がたを、疑うではないが、なお念のため、問い申したい。── そも、かほど重き、造寺造仏の勅をうけたる勧進大上人の重源とは、いかなる智識か」
長谷雄はせお のお末裔すえ におわし、十九にして大峰へ入り、入峰にゅうぶ 五たびの修行をつみ、また、遠く海を渡って、入宋にっそう すること三度、世のつねの、碩学せきがく とは異なり、ぎょう をもって、即仏そくぶつ現身うつしみ に見せしめ給う行徳ぎょうとくひじり でおざる」
「入宋三度の御知見ごちけん は」
「五台山を巡遊し、阿育王あいくおう 山に学び、また浄土五祖像を将来あるなど、世の聞こえ、隠れもおざえあぬ」
「では、大仏造立ぞうりゅう つの願文がんもん の趣旨は」
「聖武のみかどしょう をもって、心といたす。詔にいう。── 天下ノ人ヲシテ、一文ノゼニ 、一合ノ米ヲ論ゼズ、力ノ多少ニ従ヒテ、加進ヲ得セシメ、各々オノオノ ニ和福ノ楽シミヲワカ タン ── と」
「工に従う人びとは」
「大勧上人の下に、惣大工には、宋人の陳和卿ちんなけい 、陳仏寿の兄弟を始め、同朋五十余人、宋人の鋳物師いものし 七十七人、養和元年に、鞴始ふいこはじ めをなし、その年、まず螺髪らはつ のおん首を はじ めたり」
「奉加の大檀家だいだんか はたれたれか」
「上は、帝王を始め、連枝の宮々、諸公卿は申すまでもなし、鎌倉どの、秀衡公なども、およそもるるものはなけれど、聖武のおんみことのり にも、一枝イツシ ノ草、一把イチハ ノ稲トテ、造仏ヲ助ケムトスル貧者ノ奉加ハ、コレヲ、オロソカニスルナカ レ ── と見え申す。されば、世の隅々にまで、あまねく、発願の聖旨を知らしめ、辺土の民にも、ひろく大盧遮那仏だいるしゃなぶつ結縁けちえん を得さしめて、万民祈祷きとう の泰平の本尊を、この招来しょうらい あらしめんこそ、貧道ら勧進衆の務めとこそは存ずるにて候う」
弁慶は、数珠を押しもみながら、泰家を、拝して。
「── 帰命頂礼くみょうちょうらい。ここはいばらさく に、浄玻璃じょうはり の鏡をかかげて、追捕ついぶ の凶徒をおあらた めの関。さながら閻王えんおう の門に似たりといえど、それも、諸民安堵あんど のためのほかではおざるまい。あわれ、大盧遮那仏だいるしゃなぶつ造立ぞうりゅう こそは、大恩教主だいおんきょうしゅが、この弘誓ぐぜい ありたる四海泰平の象徴しるし にほかならぬものにて候う。・・・・何とぞ、おん関守せきもり にも、今日の結縁けちえん を、授受じゅじゅ あって、われら貧道の浄業じょうぎょう をあわれみ、四海兄弟のお心のもとに、一紙半銭の奉加なりと、喜捨きしゃ あらせられい。つつしんで、願い奉る」
滔々とうとう と述べ終わった後、すぐつづけて、弁慶は低声に経文を みはじめた。承意や仲教やそのほかもみな、彼にならって、唱和し出したので、白洲の内は、流れる水音のように、静かな風誦ふうしょう の声に満ちた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next