「生仏不二
.── その身そのまま、現前に、仏果の証しるし
を、この肉身に知ることにほかならぬ。」 「そは、天台、真言も説き証ふる
したこと。事新しい儀ではあるまい」 「されば、小角しょうかく
の後、五大山伏と仰がるる大先達だいせんだつ
なおわす。── 智証ちしょう
、理源りげん の両大師、また、白河院の増誉ぞうよ
など、それぞれ、山林苦行の験を身をもって示され、熊野、大峰、葛城かつらぎ
の諸山の壇を開き給う。── それより、風ふう
を慕うの輩ともがら 、たとえ出家の身に非あら
ずとも、在家ざいけ 、蓄髪ちくはつ
、妻帯のまま、みな現前の証得しょうとく
に逢あ わんと願うて、修験の道に入り申したり。・・・・ゆえにそれ、修験の道の、いやちこなる功徳くどく
いかんといえば、天地の大自然を師壇となし、農は農のまま、士は士のまま、生身なまみ
の即仏そくぶつ の歓よろこ
びを知ることかと覚えて候う」 「では、その持仏じぶつ
は」 「大日如来だいにちにょらい。まった、普賢ふげん
、文珠もんじゅ 、不動ふどう
、弥勒みろく 、観世音かんぜおん
の諸菩薩しょぼさつ をあがめ奉る」 「あがむる仏ぶつ
も、他宗とたがわず、求むる願いも、変りなきに、その行儀、修法に相違あるは、いかに」 「峰中の修行、大岳の起臥きが
、おのずから伽藍がらん の行儀衣体えたい
とは、違うが自然と思わるる」 「聞き及ぶ、それらの十六道具とは」 「兜巾ときん
、斑蓋はんかい 、篠懸すずかけ
、袈裟けさ 、法螺ほら
、念珠ねんじゅ 、錫杖しゃくじょう
、笈おい 、肩箱、雨皮あまかわ
、脚絆きゃはん 、引敷を十二道具ととなえ、また檜扇ひおうぎ
、柴打しばうち (戒刀、あるいは斧)
、走り縄なわ 、草鞋わらじ
を加えて、十六道具とは申すなれ」 「兜巾ときん
の布は五尺と聞く、五尺の意こころ
は」 「五智ごち の宝冠を象かたど
るとか」 「十二の襞ひだ
は」 十二因縁いんねん
を折りて、頂く」 「篠懸すずかけ
とは」 「九会くえ 曼陀羅まんだら
の象徴しるし と申せど、これはただ、山路の篠しの
に懸ければの名か」 「法螺ほら
の貝は」 「迷霧めいむ
の道しるべ。あるいは、法会ほうえ
の式具に」 「してまた、八ツ緒お
の草鞋わらじ は」 たたみかけると、弁慶は、とつぜん、両の肩をゆすぶって、 「あら、ばかばかしき物問いかな」 癇癪かんしゃく
の疼うず きを、歯の根に怺こら
えて、あざ笑った。 「── そも、八ツ目の草鞋は、八葉はちよう
の蓮華れんげ を象かたど
るぐらいなことは、山伏の初学。あれ、あの末座の法弟どもさえ、心得おるところだわ。さるを、いちいち博識ぶっての物問いこそ、笑止なれ。・・・・いかに富樫どの」 と、その眼を、正面の泰家へ移して、 「げにも愚おろ
かな日長問答、かかる愚弁を聞き居給うは、富樫どのにも、さだめしお欠伸あくび
を催もよお されん。貧道ひんどう
ら一同にとっても、じつもって迷惑千万、このうえは、疾と
う疾と う、関の木戸を押っ開いて、お通しあらんことを希ねが
う。お約束のごとく、お通し給われい」 と、一そう声を大にして、どなった。 すると、富樫泰家が、何も言わぬ先に、もう一人の問答僧が、 「いやまだ、そうはならん」 食って懸るように、弁慶へ向かって吠えた。
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