〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/24 (日)  かん じん ちょう (二)

生仏不二しょうぶつふじ .── その身そのまま、現前に、仏果のしるし を、この肉身に知ることにほかならぬ。」
「そは、天台、真言も説きふる したこと。事新しい儀ではあるまい」
「されば、小角しょうかく の後、五大山伏と仰がるる大先達だいせんだつ なおわす。── 智証ちしょう理源りげん の両大師、また、白河院の増誉ぞうよ など、それぞれ、山林苦行の験を身をもって示され、熊野、大峰、葛城かつらぎ の諸山の壇を開き給う。── それより、ふう を慕うのともがら 、たとえ出家の身にあら ずとも、在家ざいけ蓄髪ちくはつ 、妻帯のまま、みな現前の証得しょうとく わんと願うて、修験の道に入り申したり。・・・・ゆえにそれ、修験の道の、いやちこなる功徳くどく いかんといえば、天地の大自然を師壇となし、農は農のまま、士は士のまま、生身なまみ即仏そくぶつよろこ びを知ることかと覚えて候う」
「では、その持仏じぶつ は」
大日如来だいにちにょらい。まった、普賢ふげん文珠もんじゅ不動ふどう弥勒みろく観世音かんぜおん諸菩薩しょぼさつ をあがめ奉る」
「あがむるぶつ も、他宗とたがわず、求むる願いも、変りなきに、その行儀、修法に相違あるは、いかに」
「峰中の修行、大岳の起臥きが 、おのずから伽藍がらん の行儀衣体えたい とは、違うが自然と思わるる」
「聞き及ぶ、それらの十六道具とは」
兜巾ときん斑蓋はんかい篠懸すずかけ袈裟けさ法螺ほら念珠ねんじゅ錫杖しゃくじょうおい 、肩箱、雨皮あまかわ脚絆きゃはん 、引敷を十二道具ととなえ、また檜扇ひおうぎ柴打しばうち (戒刀、あるいは斧) 、走りなわ草鞋わらじ を加えて、十六道具とは申すなれ」
兜巾ときん の布は五尺と聞く、五尺のこころ は」
五智ごち の宝冠をかたど るとか」
「十二のひだ は」
十二因縁いんねん を折りて、頂く」
篠懸すずかけ とは」
九会くえ 曼陀羅まんだら象徴しるし と申せど、これはただ、山路のしの に懸ければの名か」
法螺ほら の貝は」
迷霧めいむ の道しるべ。あるいは、法会ほうえ の式具に」
「してまた、八ツ草鞋わらじ は」
たたみかけると、弁慶は、とつぜん、両の肩をゆすぶって、
「あら、ばかばかしき物問いかな」
癇癪かんしゃくうず きを、歯の根にこら えて、あざ笑った。
「── そも、八ツ目の草鞋は、八葉はちよう蓮華れんげかたど るぐらいなことは、山伏の初学。あれ、あの末座の法弟どもさえ、心得おるところだわ。さるを、いちいち博識ぶっての物問いこそ、笑止なれ。・・・・いかに富樫どの」
と、その眼を、正面の泰家へ移して、
「げにもおろ かな日長問答、かかる愚弁を聞き居給うは、富樫どのにも、さだめしお欠伸あくびもよお されん。貧道ひんどう ら一同にとっても、じつもって迷惑千万、このうえは、 う、関の木戸を押っ開いて、お通しあらんことをねが う。お約束のごとく、お通し給われい」
と、一そう声を大にして、どなった。
すると、富樫泰家が、何も言わぬ先に、もう一人の問答僧が、
「いやまだ、そうはならん」
食って懸るように、弁慶へ向かって吠えた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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