〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/24 (日)  かん じん ちょう (一)

二人の修験上がりは、解かれた猟犬りょうけん のように、すぐ白洲へ下りて来た。
そして、意地悪い眼と臭覚しゅうかく を働かせながら、弁慶以下二十名の偽山伏の座を一人一人克明の めまわして歩くのだった。
伊勢、片岡、亀井などの面々は、皮剥かわは ぎ役のその法師が、ふと義経の前で足を止めたときなど、思わず体をこわ ばらせた。制しようもなく、 がれた眼気をつい持って、左の手を、腰の戒刀かいとう へ忍ばせた。
もし、皮剥ぎ役の彼らが、ひと言でも、主君義経を、その人と、看破かんぱ するかのようだったら、二言といわず、直ぐ起って斬り伏せてしまおう。また、吟味の席にある富樫左衛門尉をも刺し殺して、一挙に、関を踏み破らん。── 伊勢、片岡ばかりでなく、その覚悟は、ここの関所へかかる前から、すでに一同の中で、申し合わせていたことなのである。
── が、体も小柄なうえ、旅のあか にもまみれて、さも疲れたように、うずくま っていた末弟の一山伏を、かれらも、さすがにそれとは、疑いきれなかったものらしい。
皮剥ぎの役の法師は、義経へ注いでいた眼を、ふと らすと、急に弁慶の方をあごで指し合いながら、列のはじ めの所へ戻ってしまった。
正面の、きざはし をはさんで、弁慶と向かいあいに、彼らもそこで、重々しげに床几しょうぎ へ腰かけた。真の山伏か偽山伏かを、試むための問答を、職としている修験上がりの彼らなのだ。おそらく、弁舌や博識は、みずからも充分誇るところがあるに違いない。
「まず、もの申すが」
と、弁慶を正視しながら、問答坊としての一人が、まず口をひらいた。
「客僧がたの中でも、わけて貴僧は、大峰に入ること三度、白山、羽黒にも、修行を積んだ大先達だいせんだつ とのこと、それほどな行者とあれば、修験道しゅげんどう 百般、何事にもつう じておらるるものと思うが」
「いやいやなんの」
弁慶は、うすら笑って。
「道の深遠しんえん虚空こくう の大。── 百事に通じるなどとは、凡身一生をかけても、足らぬほどな悲願でおざる。なれど、知る限りは、お答え申さん。なんなりと、問い給え」
「ならば、問うが、優婆塞うばそく の起こりは」
えん小角しょうかく を、祖といたすは、人も知ること」
「教義は」
自行じぎょう 自受じじゅ 。── 身をもっていたす実習実行こそが、そく 、教えでおざる。ゆえに、他宗門のごとき、宗祖はない。深山大岳を、道場とし、法耳ほうじ をもって、大自然にのり を聴き、法心をみが いて、石の声、たに の水にも、道を聴く」
「その、願うところとは?」
即身即仏そくしんそくぶつ
「とだけでは、明らかでないが」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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