〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/23 (土)  いち 殿どの (三)

「── およそ、かくれもないことでござれば、ここの富樫殿にも、つと に、御存知はあらんも、一応は申し奉らん。かねて、南都東大寺大仏殿の建立こんりゅう にあたって、ひろく世に結縁けちえん を求めんため、大勧進の智識重源ちょうげん 上人しょうにん には、一輪車いちりんしゃ 六輛ろくりょう を造って、老躯ろうく をはげまし、七道諸国を、数年にわたって、説き歩き給う」
流れ出るような声である。
弁慶は、 をおいて、
「されば、われら修験のともがら へも、ぞう 東大寺大仏使より切に合力を請い求めらる。もとより一世の所願しょがん なれば、吉野、葛城かつらぎ はいうに及ばず、全土全山の優婆塞うばそく をあげて、こたえ奉らん約をむすぶ者、数百。── すなわち、貧道ひんどう らは、奥羽を巡行して、人びとの報謝ほうしゃ を仰ぎ、あまねく、仏果ぶつか を得せしめんがために、かくは多くの同行を して、まかり下る。・・・・しかるに」
一歩、かい の方へ進んだ。
へび の目が、はっと、動く。
泰家は、まじろぎもせず、弁慶のくち もとを見ていた。
「いかなるわけか、ここの関にては、修験者とだに見れば、ただの野伏のぶせ りか盗賊かかの如く、まず邪悪視して、いささかの疑点あるも、ただちに、獄へ投じ給うかのうわさを聞く。・・・・まことにもって、言語道断、富樫殿ともあろう御守護が、さる悪政を好ませ給うはずはない。貧道らは、以上述ぶるところの所願のため、遍歴いたす者、願わくば、一刻いっとき もはやく、関をお通し給わらんことを。── あわ せて、かかる直面じきめん を仰ぎえたるも、また一つの法縁にこそ。たとえ、なにがしかの宝財なりとも、勧進の内へ、喜捨あらせ給わば、ありがたく存じ奉りまする」
一気に言い終わって、弁慶は、指に懸けていた数珠じゅず の手を胸に合わせてはい をした。
「む、あきらかな返答。その儀は、よくわかった」
ろ、泰家はかろく、
「したが、かくれもないことというなれば、ただ東大寺大勧進の触れのみではあるまい。去年こぞ より四たびの院宣さえ降って、鎌倉どのが、諸州に追捕ついぶ を令しおかるる叛賊義経の沙汰もまた、三歳の児童も知るところ。御僧ごそう たちとて、それを知らいでどうしよう」
と、薄く笑ってみせた。
ぎくと、こたえながらも、弁慶は、
「あいや、前予州ぜんよしゅう どのの追捕沙汰なら、わきまえぬとは申しませぬ」
「ならば、いずこの関といえ、いとどあらた めのきびしきは、知れたこと。わけて、判官主従、そら 山伏となって、国々を潜み歩くとの風聞もある。聞き及ばぬか、そのことは」
「そは、きつい迷惑に存じおりまする。聖道を行くわれらにとっては、にく んで余りある似而非 え せ 行者ぎょうじゃ 。もし見つけたら、容赦はなりませぬものを」
「それよ、まして、鎌倉どのの厳命の下に、ここの関を守る富樫左衛門尉ぞ。たとえ、東大寺直々じきじき の勧進僧たりとも、やわか、ただ さずに通そうか」
「なおまだ、なんの御不審やある?」
「不審は」
ふと、泰家は、弁慶から視線を逸らした。
彼以下の、平修験者の座列を、そして、その一つ一つのつら だましいを、ずうっと、ながめてでもゆくような眸だった。
弁慶は、胸騒ぎを、制しきれない。
── 義経が、どうしているかを、背だけで、案じた。
泰家は、またいつか、その弁慶のおもて へ、しずかな眸を戻していた。
先達せんだつ の俊乗とやら。なお解けぬ疑いは、にわかにも挙げきれぬ。吟味は、これからぞ」
「あら、言語道断、迷惑な長吟味よ。何をもって」
「だまれっ」
泰家の、この大喝だいかつ は、彼の侍臣や、白洲の番将さえ、驚かせた。
「世事にうとき山伏と思い、申すがままに、よう扱うてつかわせば、守護をも、関をも恐れぬ雑言ぞうごん 。ことばの端にも、 に落ちぬものがある。── 種次っ」
番将の方を望んで。
「白洲のめぐり、木戸の外、兵どもに取り囲ませて、この山伏どもを、びくとも起たすな」
「はっ。油断はございませぬ」
「よし」
面を横に向け直した。そして、さっきから、彼のそばにあって、猜疑さいぎ の眼をとぎすましていた修験上がりの法師二人を見て、こう、いいつけた。
「下へ降りて、その方どもから、勧進の実否、行道ぎょうどう の百般、仮借かしゃく なく、問答をこころみてみよ。左衛門尉の前に出て、思うざまな舌の根をふるい、倣岸ごうがん 、かくの如きは、まだ見たことがない。偽山伏そらやまぶし にせよ、なかなかなやつとみゆるぞ。見事、こやつらの面皮めんぴ いで見せい」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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