「──
およそ、かくれもないことでござれば、ここの富樫殿にも、夙
に、御存知はあらんも、一応は申し奉らん。かねて、南都東大寺大仏殿の建立こんりゅう
にあたって、ひろく世に結縁けちえん
を求めんため、大勧進の智識重源ちょうげん
上人しょうにん には、一輪車いちりんしゃ
六輛ろくりょう を造って、老躯ろうく
をはげまし、七道諸国を、数年にわたって、説き歩き給う」 流れ出るような声である。 弁慶は、間ま
をおいて、 「されば、われら修験の輩ともがら
へも、造ぞう 東大寺大仏使より切に合力を請い求めらる。もとより一世の所願しょがん
なれば、吉野、葛城かつらぎ はいうに及ばず、全土全山の優婆塞うばそく
をあげて、こたえ奉らん約をむすぶ者、数百。── すなわち、貧道ひんどう
らは、奥羽を巡行して、人びとの報謝ほうしゃ
を仰ぎ、あまねく、仏果ぶつか
を得せしめんがために、かくは多くの同行を具ぐ
して、まかり下る。・・・・しかるに」 一歩、階かい
の方へ進んだ。 蛇へび
の目が、はっと、動く。 泰家は、まじろぎもせず、弁慶の唇くち
もとを見ていた。 「いかなるわけか、ここの関にては、修験者とだに見れば、ただの野伏のぶせ
りか盗賊かかの如く、まず邪悪視して、いささかの疑点あるも、ただちに、獄へ投じ給うかのうわさを聞く。・・・・まことにもって、言語道断、富樫殿ともあろう御守護が、さる悪政を好ませ給うはずはない。貧道らは、以上述ぶるところの所願のため、遍歴いたす者、願わくば、一刻いっとき
もはやく、関をお通し給わらんことを。── 併あわ
せて、かかる直面じきめん を仰ぎえたるも、また一つの法縁にこそ。たとえ、なにがしかの宝財なりとも、勧進の内へ、喜捨あらせ給わば、ありがたく存じ奉りまする」 一気に言い終わって、弁慶は、指に懸けていた数珠じゅず
の手を胸に合わせて拝はい をした。 「む、あきらかな返答。その儀は、よくわかった」 ろ、泰家はかろく、 「したが、かくれもないことというなれば、ただ東大寺大勧進の触れのみではあるまい。去年こぞ
より四たびの院宣さえ降って、鎌倉どのが、諸州に追捕ついぶ
を令しおかるる叛賊義経の沙汰もまた、三歳の児童も知るところ。御僧ごそう
たちとて、それを知らいでどうしよう」 と、薄く笑ってみせた。 ぎくと、こたえながらも、弁慶は、 「あいや、前予州ぜんよしゅう
どのの追捕沙汰なら、わきまえぬとは申しませぬ」 「ならば、いずこの関といえ、いとど検あらた
めのきびしきは、知れたこと。わけて、判官主従、偽そら
山伏となって、国々を潜み歩くとの風聞もある。聞き及ばぬか、そのことは」 「そは、きつい迷惑に存じおりまする。聖道を行くわれらにとっては、憎にく
んで余りある似而非 え せ 行者ぎょうじゃ
。もし見つけたら、容赦はなりませぬものを」 「それよ、まして、鎌倉どのの厳命の下に、ここの関を守る富樫左衛門尉ぞ。たとえ、東大寺直々じきじき
の勧進僧たりとも、やわか、糺ただ
さずに通そうか」 「なおまだ、なんの御不審やある?」 「不審は」 ふと、泰家は、弁慶から視線を逸らした。 彼以下の、平修験者の座列を、そして、その一つ一つの面つら
だましいを、ずうっと、ながめてでもゆくような眸だった。 弁慶は、胸騒ぎを、制しきれない。 ── 義経が、どうしているかを、背だけで、案じた。 泰家は、またいつか、その弁慶の面おもて
へ、しずかな眸を戻していた。 「先達せんだつ
の俊乗とやら。なお解けぬ疑いは、にわかにも挙げきれぬ。吟味は、これからぞ」 「あら、言語道断、迷惑な長吟味よ。何をもって」 「だまれっ」 泰家の、この大喝だいかつ
は、彼の侍臣や、白洲の番将さえ、驚かせた。 「世事にうとき山伏と思い、申すがままに、よう扱うてつかわせば、守護をも、関をも恐れぬ雑言ぞうごん
。ことばの端にも、腑ふ に落ちぬものがある。──
種次っ」 番将の方を望んで。 「白洲のめぐり、木戸の外、兵どもに取り囲ませて、この山伏どもを、びくとも起たすな」 「はっ。油断はございませぬ」 「よし」 面を横に向け直した。そして、さっきから、彼のそばにあって、猜疑さいぎ
の眼をとぎすましていた修験上がりの法師二人を見て、こう、いいつけた。 「下へ降りて、その方どもから、勧進の実否、行道ぎょうどう
の百般、仮借かしゃく なく、問答をこころみてみよ。左衛門尉の前に出て、思うざまな舌の根をふるい、倣岸ごうがん
、かくの如きは、まだ見たことがない。偽山伏そらやまぶし
にせよ、なかなかなやつとみゆるぞ。見事、こやつらの面皮めんぴ
を引ひ っ剥ぱ
いで見せい」 |