〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/23 (土)  いち 殿どの (二)

が今、見ても。
一見して知れるような泰家でもない。
しごく凡庸ぼんよう な常識家かとも見えるし、炯眼けいがん 、油断のならぬ沈剛ちんごう な人かとも、惑わせられる。清洒せいしゃ狩衣かりぎぬ大口袴おおぐちばかま烏帽子えぼし という姿は、いたずらに、威を飾っているのでもない。
ただ、今日の吟味には、どかっと、腰を据えているらしい容子は、確かに見える。
色の浅黒い、そして、眉から鼻梁びりょう の辺にも、北国の名族らしい気品を備えた面に、それが、ほの紅い意志の色を呈していた。
弁慶は、見てとって、内心 「── これは安からず、たやすくは、たばか りえまい」 と、ひそかな腹をかためずにいられなかった。
そこへ、床几しょうぎ や、むしろ を皆へわか って、番将の種次が、一同へ、
「いつにない、お扱いぞ、先達は、床几につかれい」
「かたじけのう存ずる」
弁慶、承意、仲教の三人は床几に、あとの面々は、おのおの金剛杖こんごうづえ を横に、むしろの上へ、あぐらをくんだ。
まず、弁慶は床上に一礼して、
「かく、お扱いを賜わるうえは、なんなりと、御法にしたが って、神妙にお答え仕らん。先を急ぐ旅には候わねど、 も高いうちに、手取川までは参りとう存ずる。いざ御吟味を」
と、催促した。
泰家は、うなずきを見せた。
「まず問うが、方々かたがた は、いずこの優婆塞うばそく なるか」
常住じょうじゅう の地を問い給うか。われら修験には、定まれる家とて、おざらぬ。およそ天下の山沢大川さんたくたいせん、人なき雲表うんぴょう といえ、つえの立つ所をもって家となす者。── なれど、里には、座主ざす 先達せんだつ院家いんけ 、役室、諸房もあって、われらは大和葛城かつらぎ に僧籍をおき、大峰に入ること三度、白山、羽黒にも修行を経たる先達せんだつ にござりまする」
「御僧の、名は」
弁慶は、待っていたものを、吐くように、
「熊野坊俊乗と」申す者」
と、すぐ答えた。
熊野は、彼の出身の郷地、俊乗は口から出たままの仮名である。
すぐ、ことばを続けて、
「このたびの同行には、われら先達三名のほか、以下の平修験ひらしゅげん ども、十名を連れておりまする。これなるは呵雲坊かうんぼう 、次なるを無憂坊と申す。── そのほか、順に名のらせましょうや」
「いや」
泰家は、さえぎった。
「いちいちには及ぶまい。まず、先達三名に、物申そう。見うけるところ、強力、わらんべ まで連れて、いと大形おおぎょう なる旅の様、そも、いずこへ行かれるか」
「よくぞおたず ねを。── それこそ、お訊ねなくとも、われより申し上げたい一儀にて候う。じつは」
弁慶はぬっと立って、泰家の座へ、その巨きな胸板を真向かいにした。
泰家も、きっと眉を澄ました。
けれど、弁慶を射たするどい視線は、泰家の眼光ではなく、彼に侍座していた僧形二人のものであった。それは、木蔭のへび へ向かって吐く妖気ようき みたいなものを感じさせた。
弁慶は、思い当たった。かねて聞いていた里のうわさを。
関所には、修験者上がりの、二人の法師が抱えられている。山伏の吟味には必ず立会う。そして難問難題をわざと出して、そら 山伏か否かを、こころみる。もし、それに答えられぬか、無学や未熟の皮を がれると、仮借かしゃく なく、獄へ下げてしまうということをである。
── ははあ、その皮剥かわは ぎ法師だな。
眼のすみから、一瞥いちべつ をくれて、弁慶は、おもむろに、口を開いた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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