〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/22 (金)  いち 殿どの (一)

加賀の守護、富樫泰家は、まだ四十がらみか。地方の守護としては、若い方である。
父家経、兄家直の跡をうけ、家督かとく をついでからも、まだ七、八年しかたっていない。
その間には、かの木曾上洛があった。彼は、義仲の軍に加わって平家を追い、ともに都へ出た。
が、まもなく、彼は郷里野々市へ帰って、引き籠ってしまった。木曾兵の暴状にあいそをつかしたのである。若い理想は、懐疑に落ちた。のみならず、木曾の荷担人かとうど たるかどで、長い謹慎が門につづいた。
古い加賀の名族。
祖先は、禁裏きんり滝口たきぐちこう し、鳥羽殿とばでん 建立建立こんりゅう に功もあったりして、地方ではゆゆしい六位のすけ でもあった。その名門を、自分の代で、傷つけた自責などか、あるいは、木曾軍に従って、広い世の中の実態を見てからの懐疑の末だろうか。
「あれからは、お人が違いなされた」
と、周囲によく言われたりした泰家だった。そして、国では 「野々市では、まれに、おし が物仰っしゃる」 とか、 「偽唖そらおし が物をいうたらこわ い」 などという言葉すら行われた。それほどな、泰家は無口だった。
左衛門を兼ねて、加賀の守護に任ぜられたのは、つい去年の春である。
そのため、彼は、鎌倉の府へ、お礼におもむ いた。蔭で推挙の労をとってくれたという梶原景時の許へも、挨拶にまわった。
梶原の息子の景家かげいえ たちに誘われて、一夜、安達新三郎の邸へ、遊びに立ち寄ったのも、そのおりのことである。しかし、
「つい。見まじきものを見た」
と、その夜の出来事は、後々まで、彼の後悔となっていた。
ちょうど、安達の邸には、義経の愛妾あいしょう しずか が、預けられており、景家の心は、その幽囚ゆうしゅう ちゅう の麗人を、酒興にして遊ぼうという魂胆こんたん であったのだ。
泰家には到底、たの しめる事ではなかった。そういうものを見て愉しめる人間の気が知れない。
不愉快だった。── という以上、その夜の、若い御家人どものざまに、彼は、ひそかな義憤をすら抱いた。
また、新幕府を支える若い層そのものにも失望した。以来、 「唖ならぬ富樫どの」 は、帰国後も、唖でない証拠ぐらいにしか、ものを言わない人で今日に到っている。けれど、領下はよく治まっていて、
「よい、御守護」
という良民の声は、弁慶たちも、途上、たびたび耳にしたところだった。
だから、この関所へかかるにも義経始め、富樫その人が、どんな人物か、器量のほどを、あらかじめ押し測ることもむずかしかった。
何の成算もなく、ただ、 「当って砕けろ」 の覚悟で、直面したまでだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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