〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/22 (金)  たかせき ・ そ の 二 (三)

遠見の番卒は、すぐ、下の番卒へ、
「あれよ、物々しい山伏の一群が、これへさしかかるぞ」
と、告げていたに違いない。
早くも、その物々しさは、彼らの中に見えて、道に立ちはだかっていた。
弁慶は、同行どうぎょう をを後ろにおいて、ただ一人、ずかずかと、その前へ進んで行った。なにやら呶々どど と説明に努め始める。持ち前の音声おんじょう と六尺の背丈は、それだけでも、相手を慴伏しょうふく させるに充分だった。番卒たちは、初めの気勢も失せ、ただ気圧けお された沈黙にまじまじしていた。
そのうちに、弁慶が、片手を振って、振り向いた。── 後ろで、固唾かたず をのんでいた面々へ、眼くばせをしたのである。
「よいそうだ。よいというわ。はや、通り候え、人びと」
番卒たちは、あわてて、
「よいとはいわぬ」
「やあ待て。修験衆しゅげんしゅう
にわかに、わめいたが、弁慶の大またな歩みにならって、一同もまた、どやどや橋を押し渡った。
そのどれ一人、凡物ただもの とは見えなかった。ひと癖ありげでない者はない。番卒にも、はっと、眼に映ったものだろう。手出しはし得なかったまでのこと。関門せきもん へ向かって、ばらっと二、三名は先に駆け出したし、また例の、貝に が、鳴り渡っていた。
関門までは、わずか数百歩。
さく に、幕を打ちめぐ らし、門の内側に二ノ番所、横に関所やかたうまや が見える。
すると内から、番将の一人が躍り出て、何か辺りへ高々と怒鳴っていた。 「── 出合え、出合えっ」 とでも叫んだらしい。たちどころに、無慮五十名ほどな兵が って、陣を した。末端の兵は、弓弦ゆづる に矢をつがえした。もう、眼前へ来ていた山伏の一群をにら まえてである。
「やあ、ひかえろっ。そこで待て」
番将はしかった。まるっこい巨きな体が振り絞った声なのだ。
「ここを、どこと思う。富樫殿がかたむる安宅ノ関、なぜ、番卒の命を待たず、無法に押し通るか」
「これは関守せきもり のお役方にて候うか。先達せんだつ として、一同に代わり、お答え仕る」
叡山の承意が、前へ出て、いんぎんに色代しきたい (あいさつ) していう。
「名だたるおん関所、なんで、無下むげ な振舞に及びましょうや。これなる同朋どうぼう が、早呑み込みに、委細のお調べは、御門所と指さすまま、一同、わきまえなく、通ったまでにござりまする」
「ようし、それが真実かうそ か、急には、問うまい。眼に余る同勢、一々念入りにあらた めてやる」
番将は、かたわらの者へ、耳打ちして、どこかへ走らせ、そしてまた、言い続けた。
「およそ近ごろ、修験往来の徒には、とりわけ、関の吟味のやかましいことは、里々さとざと のうわさにも、聞き及んでおろうがな」
「もとより、この人数のこと、やま しからねばこそ、かようには、白昼、おおらかに、歩んでおりまする」
「むむ。広言はなんとでも吟味所で述べろ。そのまま、一名残らず、あれなる内へ入れ」
番将は、南側の関屋のさく を指さした。
そこにも、べつな木戸が見える。
「番卒ども、修験衆を、吟味所へ」
彼の言下に兵は、義経主従を取り囲んで、うむを言わせず、柵内へ追っ立てる。
内は、ただ玉砂利が敷きつめてあるだけの広い庭だった。関屋の廊は鍵形かぎなり白洲しらす を抱え、正面のかい の上には、広床ひろゆか が見え、まだ真新しい木の香がつよく鼻を つ。
「下におれっ。なぜ、下に かぬか」
番将が、しきりに、叱咤しった するのを、
「心得ぬことをば」
と、弁慶は、小うるさ気に、
「われらは、ただの往来人、なんで、白洲に伏さねばならぬいわれがあろう。つねに大峰、葛城かつらぎ行場ぎょうば へこもって、身を滝津瀬たきつせ に打たせ、かりそめにも、不浄を優婆塞うばそく の弟子でおざる。── すわれと仰せなら、すわりもせん。だが、広床に座を賜わるか、一同へ、床几しょうぎ をお与え給われい」
言い払って、彼以下も、突っ立ったままでいた。
すると、正面の床上しょうじょう に、侍臣数名、法師ていの者二名を、左右において、じっと見ていた眸が、
種次たねつぐ先達せんだつ には床几を与えろ、その余の者へも、菅莚すがむしろ をやるがいい」
と、下の番将へ、しずかに命じた。
富樫左衛門尉泰家は、この者だなと、弁慶は、心のうちでうなずいた。
泰家の眼と、弁慶の眼とは、もう、無言のうちに、相 っていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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