〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/22 (金)  たかせき ・ そ の 二 (二)

ここの関守せきもり 、富樫左衛門尉以下は、もし義経主従が、北陸路を来れば、道は必ず、安宅あたか を通ること、また、そのいでたちは、修験者姿であろうことを、早くから察して、 「およそ山伏と見たら、同行多勢たると、一人二人たるを問わず、めったには、関を通すな」 と、すでに、布令ふれ されてあるという。
いったい、加賀には白山はくさん 、出羽には羽黒山はぐろさん などがあるため、常でも、北陸路は、修験者の往来が多いのであり、民家にも修験行者しゅげんぎょうじゃにたいするいたわ りや布施心ふせしん の厚い風がある。
しかし、このごろは、近くの里でも “安宅の修験者だめし” といって、関所へかかった山伏で、怪しいと見られ、仮牢かりろう へ下げられた者は、幾十人か知れない。
修験者に限っては、富樫左衛門尉自身、これを取り調べ、また、修験者上がりの達道の法師を左右において、もし無学だったり行道未熟な風が見えると、幾日でも留めおく。そして再審をかさね、なお疑いが解けねば、人相書きを附して、鎌倉表まで伺いを立てるほどな入念ぶりであるという。
「ああ、このことか。進退極まるとは」
たれの声かと思えば、伊勢三郎。
「── 退きもならず、行きもならぬ。殿御一代の大難と覚えたり。どうするぞ面々」
と、うめくように、行く手の方を見て言った
「どうも、こうもあるまい」
とは、鈴木重家の言。
「死か、生かだ。あらかじめ、かかることも覚悟の前。いま思い当たる。兵法にいう、死中しちゅう 生ありということを」
「そうだ、ここに到っては」
と、異口いく 同音どうおん に。
「ともあれ、関門へ臨み、かねて、申し合わせておいた通り、詭弁きべん をふるって、押し通ろう。もしまた、事やぶれたら、富樫左衛門尉を一刃の下に突き刺し、たとえ何百か知れぬが、あとの木っ葉武者や番卒など ぎ払うに、なんの造作はあるまい」
ことばは違っても、即座の決心は、一つものだった。悲壮な色が、人びとのおもて いだ。
「待て、そう色めくのは悪い。あくまで、落ち着き払うてこそ、先をもたばか り得ようというもの」
いつものことだが、弁慶は日ごろとも余り変わらない。その鈍重さも、こんな場合は、かえって妙に、人に気強くひびく。人びとの血気をしずめ、周密な用意と行動の一致に欠けないことを考えさせる。
「まず、それがしと、仲教、承意の三名が、先達せんだつ として、先に歩もう。熊井太郎、江田源三は、その後につづき給え。殿は、平修験者ひらしゅげんじゃのていにてなか ばに立ち、伊勢、鷲ノ尾、亀井、片岡などを後前あとさき に、おん身の守りは、それにまかせられい。そしてただ、何事も素知ら顔におわしそうら え。── わらべ 、その次に、強力ごうりき はもとよりずっと後に けど、万一、気怯きお じして、いかなる狼狽うろた えに出でんも測りがたい。権頭ごんのかみ 兼房かねふさ信太しのだ 李成すえなり 、平賀二郎なんど、そのわき にあって、抜かりなく、気をくばられよ」
弁慶は、告げわたして、また、義経の前へは、
「以上のほか、なんぞ、わきまえておくことでも、ございますれば」
と、一同に代わって、念を押した。
義経の眉も、常どおりに見える。細心な打ち合わせは、繰り返したことなので、ここへ来て、今さら、どうということもない。
ただおそ れるのは、何かにつけて、すぐいたわ りを自分へそそ ぐ、皆の家来癖である。これまでの途中でも、その癖は直っていない。
「存亡はてんにある。ただ、これより先は、一切、義経を気遣きづか うな。まな ざし、ことばのはし なりとも」
それだけを、たしなめると、
「心得まいた。では」
とおのおの、笈を背に懸けた。
遠くに休ませておいた荷持や童を、さしまねく。そして、砂丘を降り始めた。
都より遅い桃花のふくらみや、連翹れんぎょう の黄が、街道をつづっているが、遠い山なみには残雪がかがや き、北の海は、風も春と思えないほど底冷たい。
まもなく、安宅ノ渡し。関の橋ぐちやら、遠見櫓とおみやぐら などが、もう眼の先に望まれて来た。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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