〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/22 (金)  たかせき ・ そ の 二 (一)

松ばかりな砂丘さきゅう の段落が、波際のかぎり、果てないほど望まれる。
義経たちの群れは、そこのまろ い砂山の一つ蔭へ、街道の人目を避けた。おのおの、おいずる のひもを肩から外し、海へめん してすわり込む。そして先に、関所の物見に行った亀井六郎と仲教が戻って来る間を、松風の下にひそ まり合って、待っていた。
「はて、どうしたものか。まだ戻っては来ぬが」
ようやく、気を みだして、そこらへ、遠見に立って行く者もあった。が、義経は、
「亀井のこと。案じるには及ぶまい」
と辺りへ言った。そして、さっきから彼の は、北方の沖へ、じっと向けられたままでいる。
そばにいた弁慶には、義経の眸が、何を求めているのか、すぐ察しられた。
模糊もこ とかなたに望まれる能登半島の影は ── その奥能登の果てなる ── 忘れ得ぬ人への思いを、義経の胸に、かき立てずにおかぬのであろう。 「・・・・わが殿とは、そうしたお方だ」 と、ひとりがてんにうなずくのだった。
能登には、平大納言時忠が流されている。
北ノ方そつつぼね や、また、夕顔の君も、わびしい配所暮らしを、以来おひとつにいていられよう。── 相別れたのは、おととしの五月だった。なんたる短いうちの、相互の運命の変わりようか。
「かかる危うい旅路でなくば、必ずそこを訪わせ給うて、尽きぬおん物語もあろうものを」
弁慶は、義経の胸になって察していた。ここまで来ていながらと、彼にしてさえ、残念にも思われる。まして、後でそれと分かったら、夕顔の君のお悲しみは、どんなであろうか。
「・・・・・」
彼は何度も、思いを口に出しかけた。そして義経の横顔をうかがっては、ためらった。他からその沈黙をさまた げては悪いように見えたのでもある。
「おう、返って来た」
辺りの面々が緊迫の色を持ち直す。亀井と仲教の姿が、こっちへ向かって駈けて来たのだった。
二人はすぐ、義経の前に来て、
「見てまいりました」
と、ひざまずいた。
伊勢、片岡、鷲ノ尾、鈴木など、みなひとつに厚く寄り合って、二人のことばに、耳を凝らした。
「まことに、安宅ノ関と申すは、聞きしにまさる堅固なてい でござりまする」
亀井六郎が、見たままを、まず報じて言う。
「この下の、北国街道を二十町ほど行けば、安宅あたかわた し ── 梯川かけはしがわ に行き当たりまする。寿永じゅえい の年、木曾どのと平家の維盛これもり 将軍が、合戦の跡とて、いまもって、そのおりの富樫勢とがしぜい 、石黒、林勢などが築いた防塞とりで のあとも、まざまざと見え、往還おうかん の橋一ツのみ、新たに かっておりまする」
「はや、そこが、新関の口か」
義経も、もう、眸を遠くにしていた今し方の義経ではなかった。
「さればでございまする」
亀井に代わって、こんどは仲教が、
「物蔭からうかがうに、海から陸路くがじ を、一と目にする高櫓たかやぐら があり、橋の口にも、番卒が立ち並んで、旅人をあらた め、橋を渡しやるたびかい を吹き鳴らして、かなたの関門せきもん へ、いちいちしら せておる様子。── それゆえ、橋向こうへは、近づき難く、ただ遠くより見るに、橋からほど近い先に当って、左手ゆんで に、住吉明神の砂丘、それに添って、関門せきもん関屋せきやさく 、番所など、いかめしゅう、望まれまする」
「守備の兵は」
「しかとは、分かりませぬが、北国路に、なんぞ怪しき風説でも聞こゆる時には、かならず富樫左衛門尉が自身、安宅あたか よりまだ四、五里も先の野々市ののいち の私邸より関屋に来て、終日ひねもす 、みずから取り調べに当っておるとか。何せい、ただならぬ守りにござります」
「それでは、安宅ノ渡し、奥の関門せきもん 、次いで、富樫の館がある野々市と、三段に構えた関ともいえるか。はて、こと むずかしそうな」
「いや、そればかりではござらぬ」
と、亀井六郎もまた、次を言い足した。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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