松ばかりな砂丘
の段落が、波際のかぎり、果てないほど望まれる。 義経たちの群れは、そこの円まろ
い砂山の一つ蔭へ、街道の人目を避けた。おのおの、笈おいずる
のひもを肩から外し、海へ面めん
してすわり込む。そして先に、関所の物見に行った亀井六郎と仲教が戻って来る間を、松風の下に密ひそ
まり合って、待っていた。 「はて、どうしたものか。まだ戻っては来ぬが」 ようやく、気を揉も
みだして、そこらへ、遠見に立って行く者もあった。が、義経は、 「亀井のこと。案じるには及ぶまい」 と辺りへ言った。そして、さっきから彼の眸め
は、北方の沖へ、じっと向けられたままでいる。 そばにいた弁慶には、義経の眸が、何を求めているのか、すぐ察しられた。 模糊もこ
とかなたに望まれる能登半島の影は ── その奥能登の果てなる ── 忘れ得ぬ人への思いを、義経の胸に、かき立てずにおかぬのであろう。 「・・・・わが殿とは、そうしたお方だ」
と、ひとりがてんにうなずくのだった。 能登には、平大納言時忠が流されている。 北ノ方帥そつ
ノ局つぼね や、また、夕顔の君も、わびしい配所暮らしを、以来おひとつにいていられよう。──
相別れたのは、おととしの五月だった。なんたる短いうちの、相互の運命の変わりようか。 「かかる危うい旅路でなくば、必ずそこを訪わせ給うて、尽きぬおん物語もあろうものを」 弁慶は、義経の胸になって察していた。ここまで来ていながらと、彼にしてさえ、残念にも思われる。まして、後でそれと分かったら、夕顔の君のお悲しみは、どんなであろうか。 「・・・・・」 彼は何度も、思いを口に出しかけた。そして義経の横顔をうかがっては、ためらった。他からその沈黙を邪さまた
げては悪いように見えたのでもある。 「おう、返って来た」 辺りの面々が緊迫の色を持ち直す。亀井と仲教の姿が、こっちへ向かって駈けて来たのだった。 二人はすぐ、義経の前に来て、 「見てまいりました」 と、ひざまずいた。 伊勢、片岡、鷲ノ尾、鈴木など、みなひとつに厚く寄り合って、二人のことばに、耳を凝らした。 「まことに、安宅ノ関と申すは、聞きしにまさる堅固な態てい
でござりまする」 亀井六郎が、見たままを、まず報じて言う。 「この下の、北国街道を二十町ほど行けば、安宅あたか
ノ渡わた し ── 梯川かけはしがわ
に行き当たりまする。寿永じゅえい
の年、木曾どのと平家の維盛これもり
将軍が、合戦の跡とて、いまもって、そのおりの富樫勢とがしぜい
、石黒、林勢などが築いた防塞とりで
のあとも、まざまざと見え、往還おうかん
の橋一ツのみ、新たに架か かっておりまする」 「はや、そこが、新関の口か」 義経も、もう、眸を遠くにしていた今し方の義経ではなかった。 「さればでございまする」 亀井に代わって、こんどは仲教が、 「物蔭からうかがうに、海から陸路くがじ
を、一と目にする高櫓たかやぐら
があり、橋の口にも、番卒が立ち並んで、旅人を検あらた
め、橋を渡しやるたび貝かい を吹き鳴らして、かなたの関門せきもん
へ、いちいち報しら せておる様子。──
それゆえ、橋向こうへは、近づき難く、ただ遠くより見るに、橋からほど近い先に当って、左手ゆんで
に、住吉明神の砂丘、それに添って、関門せきもん
、関屋せきや 、柵さく
、番所など、いかめしゅう、望まれまする」 「守備の兵は」 「しかとは、分かりませぬが、北国路に、なんぞ怪しき風説でも聞こゆる時には、かならず富樫左衛門尉が自身、安宅あたか
よりまだ四、五里も先の野々市ののいち
の私邸より関屋に来て、終日ひねもす
、みずから取り調べに当っておるとか。何せい、ただならぬ守りにござります」 「それでは、安宅ノ渡し、奥の関門せきもん
、次いで、富樫の館がある野々市と、三段に構えた関ともいえるか。はて、事こと
むずかしそうな」 「いや、そればかりではござらぬ」 と、亀井六郎もまた、次を言い足した。 |