〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/21 (木)  とう みんくに (四)

世間の噂だが。
かつて、鎌倉の土佐坊昌俊の手勢が、義経の堀川邸を夜襲し、討ち返されて、事は失敗に終わったとき、その報告に接した頼朝は、むしろ、歓ぶような色を見せて、 「おお、九郎は、頼朝の敵にはよくなった」 と、叫びをなしたそうである。
それを、思い合わせれば、やがて、こんどはまた。 「── おお義経は、よくぞ奥州へ落ちてくれた」 と、あの、さも見えぬ端厳な相好を、笑みほころばせるのではあるまいか。
西行は、そんな空想を、 まわしいものと思った。しかし、魚には見えない河も陸からは見える。半世紀にわたって押し流るる大河の様を、彼は、大河の外に立ってながめ、世の成り行きというものを見つくして来た。そうした眼が、見まじとするものをも、いつも予見させるのだった。
三月にはいった。
山野の残雪は、まだ肌をさすが、彼は月の初め、伽羅御所へ暇を告げ、平泉を去った。
出羽の山寺で、今年初めての桜に会い、急がぬ旅を、また、旅にはほどよい春風の中を、越後路へまわって行った。
その行く先々でも、都附近ほどには、追捕ついぶ の高札も見ないが、判官どのとか、義経の君がとか、人のささやきは、ちらちら耳にふれた。
それと、西行が、うたた隔世の思いにたえなかったのは、むかしは、いず地にも見えた平家の 「門脇殿かどわきどの の所領」 「小松殿の所領」 などの目代もくだい郡家ぐうけ (代官) の門が、すべて源氏の地頭に入れ代えられ、かつての、あれほどな平家人へいけびと が、どこの地方にも、まったく、見えなくなっていたことだった。
「いったい、それらのお人は、どこへ隠れてしまったものでございましょうなあ。・・・・主なる御一門は、屋島や壇ノ浦と、その果ても分かっておりますが、かかる僻地へきち にいて、なんのかかわりもないほどな、平家の末の末に過ぎぬお人たちは」
宿のあるじとか、ふと、休息をともにした行きずりの旅人などに、西行が不審をただすと、どこの土地でも、答える者のことばは、一つであった。
「── あれ御覧なされ、越後、信濃の山波の奥の奥、白雲のかかっている辺りに、みんな逃げ込んでしまいなされた。さあ、これから源氏の世だぞと、どこの庄へも、守護や地頭の兵が、あのおり、なだれ込んで来ましたからな」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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