〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻

2014/08/20 (水)  とう みんくに (三)

秀衡は、伽羅御所きゃらのごしょ の内に、西行を迎えると、
「その老体で、よう下られたの。しかも、真冬を」
と、心からのいたわ りを見せ、
「さても、久しぶりだな。・・・・この前の平泉逗留とうりゅう は、あれは、いつの年であったか」
などと、室を暖めて、往事おうじ 近時きんじ の話に、ひと夜二た夜は、側を離さないほどだった。
由来、彫刻、建築の諸工芸家から、公卿、僧侶そうりょ 、文人などの中央人を優遇する風は、藤原氏の家風と言ってよいほどである。
それに、西行と秀衡とは、遠い親戚しんせき で、会うのも、今が二度目である。この前の平泉行脚あんぎゃ は、保元二年、西行が四十歳の年だった。
── その間、三十年が流れている。
けれど、平泉の外観も、伽羅御所の内も、いよいよその栄えに、爛熟らんじゅく はあっても、変わりは見えなかった。── 変わったと思えたのは、秀衡の鬢髪びんぱつ の白さだけだ。が、それは、西行とて同じである。
「じつは、このたび、老躯ろうく を押して参りましたのは、ほかならぬお願いがあってのことでございまする・・・・」
西行は、そのことを言ってしまわないうちは、心からくつろげなかった。
というのは、こんどの旅は、東大寺重源ちょうげん 上人しょうにん の切なる依頼から、ぜひなく、下って来たもので、大仏殿造営の寄進を、秀衡へ乞うのが、目的だった。
だが、そういう物質的なことになると、とんとくら いし、また重荷とも感じる彼は、ひどく言いにくそうであった。
秀衡は、彼の訥々とつとつ たる口ぶりを、始終、笑顔で聞いていて、
「承知いたした。その御勧進ごかんじん なれば、秀衡も出来るだけのお手伝いはしよう。お案じなく、冬中は滞在して、ゆるりと、雪解けを見て立つがよい」
と、言ってくれた。
それで西行は、ひとまず、ほっとしたのである。
伽羅御所の歓待かんたい は、彼にはかえって、重苦しかった。 「わがままですが」 と、柳御丸やなぎのおまる一隅いちぐう に居を乞うて、正月も越した。
ここでは、冬はずいぶん長い気がする。けれど、ひとりに むことはない彼であった。一炉いちろ は妻、一机いっき は友、筆を持ったり、歌を詠んだり、人からは 「なに愉しみに」 と疑われても、彼自身の心は、ただの一日でも、愉しまぬという日はない。
しかし、そういう彼にも、長逗留ながとうりゅう のうちには、つい、いろんなことが耳に入る。
鎮守府将軍の内も、ようやく、当主秀衡の老境にしたがって、事むずかしい悩みもあるとか。
秀衡には、六男があった。
腹ちがいの長兄、西木戸太郎国衡と、正腹の嫡子、泰衡とがいる。
ほかに高衡、忠衡、通衡みちひら 、頼衡などの兄弟大勢だが、特に、すぐれて見ゆる者もないのが、父秀衡の後生ごしょう の憂いであるらしい。
ひとたび、その父が い後の、老大国の将来は、他人にさえ、危ぶまれるものがあった。きざ しは、日ごろにも見えている。
おりもおり、西行にも聞こえて来る。
おなじ柳御丸やなぎのおまる の地内のどこかでh、しきりに工を急ぐらしいのみ手斧ちょうな の音が毎日していた。── 源判官げんほうがん どのが、いつお着きあらんかも知れぬゆえ、そのための、館拵やかたごしら えの造作ぞうさく であると、まれに、ここへ見える侍が西行にささやいたことだった。
「ああ、みちのくの仏都の姿も、いつまでのことか」
西行何かしら、ここも長居する所ではないように、思われた。恐ろしい予感に、そわそわする。
── いつか、自分を柳営へ直々じきじき に召されて、兵馬弓箭きゅうせん のことやら、世事和歌の談まで、親しくたず ねられた頼朝という人の や、磁器のような底冷たい感じなどが、ふと西行のあたまにうか んだ。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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