〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十六) ──
吉 野 雛 の 巻
2014/08/19 (火)
冬
(
とう
)
眠
(
みん
)
の
国
(
くに
)
(二)
一と月余りも、病は
癒
(
い
)
えず、もとより路用の費とて、さして持たない。木賃の者からは、捨てもならぬ病み
猫
(
ねこ
)
へでも、くれるように、
芋粥
(
いもがゆ
)
の欠け
椀
(
わん
)
を、枕もとの
筵
(
むしろ
)
へ置かれるたび、
「まだ立てぬのかい。困った
乞食
(
こじき
)
法師ぞよ」
と、つぶやかれたりした。
でも、
憐
(
あわ
)
れやと、のぞき見に、物を恵んでゆく
里
(
さと
)
の男女や、薬などくれる老婆もあって、どうやら少しは快方を見てきたが、そのうちに、この辺でさえ早目な雪が、一夜どっと、寝小屋を
圧
(
お
)
しつぶすほどに降り積もった。
捨てはてて
身はなきものと
おもひしも
雪の降る日は
寒くこそあれ
西行は、かじかんだ手を、息であたためながら、体のしんでつぶやいた。頭で作った歌でなく、体が
詠
(
よ
)
み出でた歌だと思った。
「これでいい。・・・・これでいいのだ」
彼は、しこりが解けたように、気が楽になった。
なまじ、 「ここが正念のしどころ」 などと、気ばるから、いけないのだと思う。
二十歳
(
はたち
)
代の発心は、一本気であった。あのころの歌はあのころの気負いでよい。それが迷路には入った三十代の歌、なお抜けない
灰汁
(
あく
)
をもちながら、
悟
(
さと
)
ったような独善を持って、自然に心酔していた四十、五十代の歌、それは、それなりの嘘ではなかった。血みどろな真剣だった。── こう生きるのが、いちばん人間の人間らしい生き方だというものを、歌で実証しようとしたのだ。
もし、それが成し遂げられなかったら、あんな酷い去り方をして悲しませたむかしの妻にすまない。出家の日、縁から
蹴落
(
けお
)
としたわが子に対して、なんの申しわけがあろうか。
ところが、六十代からは、ときどき、これまでは意識しない心の嘘が、自分でも見えすき、はっとするおりが、しばしばだった。
若年の発心を、道一筋と守る意識の習性が、どこかで、しこってたのである。
一定
(
いちじょう
)
出離
(
しゅつり
)
の姿をくずすまい、くずれては、歌も生涯も、
偽
(
いつわ
)
りになる、という自抑が、ありのままを
邪
(
さまた
)
げ、歌にも、われさながらでもないものが、彼自身には見えたのだった。
── その
妄
(
もう
)
を、今ふと、彼は気づいた。 「・・・・捨て果てた身などと、悟ったようなつもりでいたが、雪の降る日はやはりたまらなく寒い。頭で、どう
思惟
(
しい
)
したって、寒さは変わらぬ」 と、当たり前なことが、人なみにいえた歓びにおののくのだった。
「ああ七十の坂にかかろうとして、こんな歌一つが、いま
詠
(
よ
)
めた。はてさて、なまじな悟りすましは、せまじきもの」
気もかろく持ち直せたせいか、彼は、まもなく木賃の寝小屋を立った。もうもう行くては、東北の冬特有な灰色の空だったが、ふたたび、平泉への旅をつづけていた。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next