暦
のうえでは、初春はる だが、みちのくは、今が厳冬の中だった。金色こんじき
の仏都といわれる首府平泉は、暮れても雪、明けても雪、遠寺の塔の尖さき
は、氷の針に見える。 まったく冬眠の国、そして一見、無音寂寞じゃくまく
な雪一色であった。けれどその底には、やはり駸々しんしん
たる外界からの不断な時の流れが、聞こえていた。 「ついに、御館をお頼りあって、源九郎判官どのが、忍びやかに、下くだ
られて来るそうな」 ふしぎなほどだ。たれに口からというのでもない。 秀衡の伽羅きゃら
ノ御所ごしょ では、すでにそんな消息を持っていた。けれど、重職にある同族などは、 「怪態けたい
な取り沙汰。ありもせぬことをば」 と、眉をせばめ、 「めったなうわさは、御館の御迷惑であろうぞ」 と、渋面じゅうめん
をしめして打ち消す。 だからそれが、いかに関外 (奥州二州の外) の聞こえをはばかる機密かは、たしなめられる家中の一般の方でも、よく分かった。 そのうえ、俗に高館下たかだちした
という、柳御丸やなぎのおまる
の一邸には、二月末ごろから、諸職の工匠たくみ
がはいって、手入れにかかっていることなども、かくれない。 そして、もし義経主従が、不時に着いた場合でも、さし当っては、さっそくそこを仮の居住にあて、おりをみて、他の永住のお館を、新たに設しつら
えられるのではないか。 そんな推測も、暗黙の内に、持たれていたのである。 ── ところが、茲ここ
に、おなじ柳御丸の地内に、仮の住居を得ていた一法師については、 「あれは何の為にいる客か」 とも人びとは問わなかった。一方に気を取られてか、置き忘れられたものに似ている。 が、そこの普賢堂ふげんどう
の一房に、冬籠りしていた西行は、むしろ人びとの忘れ顔を、願ってもないことして、遅い雪国の雪解けを待っていた。 西行が、この地へたどり着いたのは、去年の冬で、その日も、ひどい風雪だったが、こんどほどは、雪に悩まされ通した旅は、彼の遍歴生涯しょうがい
にも覚えがない。 ── 去年、鎌倉で頼朝に会い、銀の子猫こねこ
などもらって、苦笑しつつ、柳営の門を辞したのは、忘れも得ぬ八月十五日の名月の夕だった。 年を越えれば七十となる老いの脚でも、あれからなら、どう、ゆっくり旅したところで雪を見ぬまに、平泉には着けよう。──
そう計っての旅立ったが、下総国しもふさのくに
葛飾かつしか の幸手さつて
という里まで来たとき、思わぬ病に臥ふ
してしまった。 いとも侘わび
しい木賃きちん の、それも物置同様な寝小屋。 こういう時こそ、天涯てんがい
のひとりぼっちの身の上は、いいようもなく、心細い。 だが、正念の試しでもある。みずから問うて、あがきや苦慮が、少しでも自分に見えたら、求めて歩いた生涯の孤独の道は嘘うそ
になろう。西行という者の歌は、人をいつわり、自分をも欺あざむ
いていた歌になる。 |