佐
ノ局つぼね は、柴木しばき
に蕨わらび を束つか
ねて持ち、女院は、花籠はなかご
を左の臂ひじ に、懸けておられた。 籠の底には、山の幸を、何かと摘み入れ、岩つつじの花も折り添えてある。──
まだ何も、お気づきないのか、岩根の春蘭しゅんらん
に、お裾を弄なぶ らせながら、庵室あんしつ
の裏垣うらがき までは、無心に降りて来られたようだった。 ──
が、にわかに、はたと足をお止めになった。いや、立ちすくまれたお姿だった。 玲瓏れいろう
としかいいようのないお顔には、一瞬ほのかな、紅くれない
がさっと通った。 「・・・・・・?」 驚きと疑いのそれが、徐々にお顔の上から醒さ
めて、白蓮びゃくれん を思わす白さに返ると、やがてその頬を、珠たま
のようなおん涙が、らんかんとして流れくだっていた。── ぬぐうことも、隠すすべも、お忘れになっている。喪神そのものの御手に、花籠の花だけが、かすかにふるえていた。 「御幸にござりまする。院でいらせられます。・・・・女院さま」 かたわらから、阿波あわ
ノ局つぼね が、小声で告げる。 女院は、局の手へ、黙って花を預けた。そしてすぐ、頽くず
れるようにすわりかけるのを、簀す
の子こ や庭面に控えていた後徳大寺、冷泉、花山院、そのほかの諸卿が、宮階でおん裳も
を捧と るときのような礼で、しいて御庵室の内へ迎え上げた。 「・・・・・・」 相見たものの、しばらくは、後白河にも、おことばはない。 どんな言も、女院の今の境遇をなぐさめるには、余りに空々そらぞら
しく、似つかわしくなく、ついお口にも出ないのではなかったか。 人生の流転るてん
無窮むきゅう 。 欲界の栄枯さまざま。 喜見城きけんじょう
の歓楽も、長くはなく、天人にも、五衰ごすい
の悲しみとかがあるという。 仏典や経文は、星ほどな字数をもって、世の必然と、人間の業ごう
の結果を、予言もし、教えてもいる。 後白河も、それらの聖教は、ひとかどの碩学せきがく
以上にも、暗誦そら んじておいでだった。けれど野の露は、どれほどたくさんな露の玉であっても、花を濡らし、花を息づかせるだけで、花の生命そのものではない。 御自身、法体ほったい
にくるまれつつも、源平血みどろな者を、両の手綱につかいわけ、飢餓、疫病、火災、水害の泥海にあえぐ四民の上に高御座たかみくら
をおいて、老いも知らず、なお鎌倉幕府とも闘わんとしておいでになるほど、非凡な大欲をもって、みずから任じていらっしゃるのだ。仏教の功力くりき
も、救いがたい人間性も、お分かりでないはずはなかった。 だから、女院に対しても、あきらめの日々と、往生来迎おうじょうらいごうの日を愉しみ給えというような、善智識ぜんちしき
ぶりを、さりげないお顔で語ろうというお気持にはなれなかったことであろう。── むしろ、世俗の嫁舅よめしゅうと
の気安さで、この寒室の起居を見舞い、土産物など繰り広げて、力づけたり、慰めもして、御還御あらんというのが、偽らないお心であったかと思われる。 やがて、四方山よもやま
ばなしに解けて、 「日ごろ、訪と
う者は?」 と、おききになったり、また、 「冬の寒さ、夏のしのぎ、この山里では、さこそままなるまい。四時のお暮らし向きなどは、どうしておらるるや」 などのお訊たず
ねが出たのも、それのお宥いたわ
りやらお気持のあらわれの、ほかではあるまい。 |