〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/17 (日) お ん がお (四)

ようやく、女院も、時ならぬお驚きから、われに返って、おりには、法皇のおことばにも、御微笑を見交わされた。── おん年三十、ほほ笑まれれば、たちまち、黒髪に黄金こがね釵子さいし翡翠ひすいちりば めをしておわした日のかげ が、陽炎かげろう のように、素顔の眉やおくちびる のあたりに揺らぎこぼれて、仏華ぶつげ薫染くんぜん しかないお襟もとからも、ほのあたたかい何かが匂いたつようであった。
「・・・・まこと、吉田からこれへ来た当座は、心細さ、いいようもありませんでした。たそがれ、人や来ると、さしのぞけば、鹿しか の親子が、歩むのでした。夜半のあらしかと、耳澄ませば、ましら のさけびです。けれど、七条どのの北ノ方や、隆房卿たかふさきょう のお内からも、お心こめて、おりおりの布施ふせはぐく みを賜わりますので、生きるに物欠くこともございませぬ。・・・・そして、ひたすらに、一門の菩提ぼだい を念じ、草を摘み、花を友に、いつか山家やまが にも住み れたせいでしょうか。今は、しあわ せな身と、この閑居さえ、勿体もったい のう存じおりまする」
「とは申せ、煩悩ぼんのう 、脱け難いは、人みなのすがた 、おりには、世への恨みもおわそう。過ぎし日の、あれやこれや、ひとり悲しゅう、思い出らるることもあろうに」
「仰せまでもございませぬ。けれど、きのうの悲運が、み仏への、きょうの機縁を、めぐみ給うたものと、それがありがたいのでございます。過ぎし日の飾りは、今何一つございません。けれど、ある日はふと、ああこれがわが身というものであったか、生きの命とは、これであったかと、ひとりこの身を抱きいと しむような日もありまする。・・・・ただただ、いつまでも、忘れ得ないのは、先帝 (安コ) の、おいたわしさやら、面影ではございますが」
先帝の話しになると、後白河は、何も仰っしゃらない。さすが、おつらいのであろう。み気色も沈まれた。
ほんとのところ、安徳天皇の御入水は、いまもって、確認されてはいなかった。当時、御遺骸ごいがい や御遺物なども海底から探り得ず、すでに壇ノ浦以後、一年の余も過ぎているが、みかど は、絶海の孤島にいらっしゃるとか、山また山の奥に、小天地を作っておいでになるとか、異説風聞、南の風が吹くたびに聞こえて来る。
「・・・・おお、いつか、 も傾きそめました。おん物語も尽きますまいが、はや御還御ごかんぎょ あらせられては」
(縁) の端から、後徳大寺実定が、内へ奏した。
それをしお に、法皇は、小筥こばこ の香木 “無憂華むゆうげ ” をお袖裏から取り出して、女院へ、おみやげにと披露された。
女院は、その薫りを抱きしめると、白いおんうなじ をふるわせた。そしてついには、堪え難くなられたか、がばと、泣き伏してしまわれた。父の面影の香が、とつぜん、女院を幼子おさなご にひき戻していたのである。
同時に、供奉ぐぶ の人びとは、おん輿を、門べにすえて、待ち控えた。── 後白河は、御座ぎょざ をお立ちになった。山里の入り日は早く、御庵室ごあんしつ の中は、もうほの青い夕冷えだった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ