〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/17 (日) お ん がお (二)

また、ほの暗い、次の小間は、御寝所か。
荒壁へ寄せて、竹の竿さお衣桁いこう に、麻のおん衣、紙のふすま などが、懸けてあり、おん袖に、青い虫が一匹、ひげをふるわせていた。ほかにといって、何一つない。── かつての日には、唐衣からぎぬ や、袿衣うちぎ の袖に、幾重の色をかさ ね、綾羅りょうら の粧い、錦繍きんしゅうけん を競い合う、宮中の麗人たちの中にいてさえ、いつ、どんな所でも、見劣ったことのない建礼門院の、これが今は、御起居の物の、すべてであろうか。
「・・・・・」
法皇は、触目の一つ一つに、お心を涙で刺されずにはいられなかった。治承、寿永このかた、いやそれより以前から、このような生贄いけにえ を、乱世の血の祭壇と魔神の前に、どれほど捧げて来たことだろうか。
ふと、御感慨もわく。
けれど、その乱世の雲の上に座して、御自身が、どうしょ されて来たか、清盛をして、 「後白河の君こそ、希代きたい な政略家なれ」 と呼ばしめ、また、頼朝をしてさえ、 「大天狗とは院のことなり」 と言わしめた、御自身のうちにあるもの、それへの御反省までは、思い及ばれもしなかった。
ただ、かえりみれば。
平治から幾十年のうちに、御血縁の皇族、寵臣ちょうしん外戚がいせき の平家、そのほか、無数の武者ばら まで、戦い戦い、ほとんどみな落花か血の泡沫ほうまつ とかき消えてしまったのに、御自身のみは、ひとり帝王の座も失われず、六十のおんよわい もなお矍鑠かくしゃく として、こう在ることが、極めて当然な、としていらっしゃる君王の常識のうちにも、多少、他へのあわ れを、お催しにはなるのであろう。わけて、 き御実子高倉帝のおきさき であり、清盛の一女であった女院へは、とりわけ、御憐愍ごれんびん の切なるものがあったには違いない。
── 山へ花摘みに行かれたという女院はまだお姿を見せなかった。が、後白河は、 むこともなかった。
何か、今日一日だけは、人界を離れて、人界の古往こおう 今来こんらい 、さまざまを、思い巡らすため、ここに措かれたようなお心地でもある。
そのうちに。── ふと後白河は、たれかの眼が、ここの自分を、さっきからじっと見ていたことに気づかれた。それは、横のほの暗い壁に懸っていた一軸いちじく の童子像であった。
たれの筆に成ったのか、画像は、まぎれない先帝 (安徳天皇)御影ぎょえい である。おん母の手で、今も朝夕、欠かすことなく、上げられているのであろう。供御くご膳器ぜんき 、花、香炉こうろ などが供えてあった。
後白河は、その似絵の眼と、御自分の眼が、ゆくりなく、出合ったような気はされたが、じつの御孫に対する愛撫あいぶ の情はわいても来なかった。かえって、何か、背すじへ寒さをお覚えになったらしく、あわてて、お を、外へそらした。
ちょうどその時、裏山から小道を、ここへ降りて来る二人の尼僧が、かなたに見えた。よくよく御覧ごろう じあると、濃い墨染めの法衣ころも 、ま白な下重ね、ふと見違えられもするが、先帝の乳人めのと 大納言だいなごんの すけつぼね と、もう一と方は、まぎれもなく、後白河が、待ち久しげにお待ちしていた建礼門院に違いなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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