〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/16 (土) おお はら こう ・ そ の 二 (二)

牛車は、みぞろ池の北、幡枝御堂はたえだのみどうにつないで、北面三人だけを留め、法皇は、そこから先、あじろの輿こし に乗り換えられた。
もう車は行きえない。道は岩倉山と神山かみやま のあいだを縫い、ようやく山坂のけん をあらわしてくる。
「はや、道のりは、半ばを来たか」
山中なので。輿こし を揚げ、後白河はときどき、扈従こじゅう のうえへ、話しかけた。
老いたるは、輿こし でお供につづき、若い堂上びと はみな歩いた。輿上よじょう に揺られるのと、歩行とでは、どっちが楽かわからないほどである。
「いや、半ばを過ぎましても、道のけわしさは、これから先だございまする」
たれかの答えを、お耳でうなずくと、
「・・・・むむ。そうだったのう」
と、つぶやかれた。
後白河にはこの山道が、今日初めてではないらしい。
が、ゆくりない御記憶がにじ み出るのを、打ち消そうとでもなさるように、ふとおひざの上の指先で、香筥こうばこ のひもを解き始めた。そして、その小さいはこ の底をお鼻の先へ持って行かれた。そして 「・・・・清盛のにお いがする」 ── と、すぐお感じになった。三寸ほどに った香木が、中にくるまれてあるのだった。
名香であった。
おそらく清盛が、その晩年、そう との交易であがな い入れた物の一つであろう。みずから、 “無憂華むゆうげ ” と銘じて、福原の雪ノ御所でも、西八条の起居にも、衣に きしめて、またなく愛用していた。それの薫気くんき だかさから、内々法皇にも、御所望の切なるものがあった。と知ると清盛は、秘蔵の宝木ほうぼく を、惜しげもなく二つに って、その一つを院へ献じたのであった。
今となってみれば、それは、清盛の気心をよく現わした形見でもあり、いわば清盛の遺薫いくん そのものであった。── けれど後白河は、清盛の亡後、なんとなく “無憂華むゆうげ ” の香気に焚き染められるのが、お苦しくなった。香の幻は、清盛の亡霊のように、後白河のお胸に、さまざまな追憶を当然、よみがえ らすからであった。で、いつかお用いになるのをきらい、つい今日まで、筐底きょうてい におかれたままであったのである。
が、大原御幸をおぼ し召したたれた日から、後白河はひそかに 「・・・・女院を訪う日の、みやげに」 と、お心にとめておられた。
建礼門院徳子にとれば、それこそなつかしい、 りし日の父の香がすることであろう。父とともに在る心地を呼ぶ物ではないか。
── 御幸のおん土産物みやげもの として、ほかにも種々くさぐさ な品を御用意であったが、女院をなぐさめるには、これにまさる贈り物はあるまい。そう思われて、輿の内から、女院のよろこぶ顔を、まぶた にしておられる御舅君おんしゅうとぎみ の後白河法皇であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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