〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/12 (火) ねこめい げつ (二)

二度の御見ぎょけん にと、西行の方から頼朝をその新御所に訪ねたのは、つい昨日の、ひつじとき (午後二時) であった。
今日の頼朝は、もっぱら武事の質問を出した。西行も昔は滝口たきぐち の武者として、弓矢に長じていた者であることを、営中のたれからか、仔細しさい に聞いていたためとみえる。
けれど、西行は 「── 年来、弓矢の道は、とんと、心の外にわすれ、家の相伝そうでん の兵書なども、在る所を存ぜず、ただ生涯のうた 反古ほご のみが、身に持つ覚えの物でしかありませぬ」 とのみ。それには多くを答えたがらない。
でも、滝口に伝わる弓馬の作法とか故事こじ については 「恩問おんもん 、もだし難ければ」 と、知るところを少しは語った。頼朝は、侍座していた問注所の俊兼に 「── 記録しておけ」 と、筆をとらせた。
やがて西行は 「日も傾きましたゆえ」 と、暇を乞うた。
別殿べつでん において、おとき (食膳) をと、近習はすすめたが、西行は 「きょうのみの美食は」 と、断った。頼朝は、かさねて 「これより、どこをこころざ しての旅か」 と、たずねた。
西行は、事実を告げた。
彼の、こんどの東下には、じつは一つの使命があった。それは、東大寺造大仏使ぞうだいぶつしの重源上人の熱意にうごかされて、大仏殿建立こんりゅう勧進かんじん のため、奥州の藤原秀衡ふじわらひでひら をたずねるべく、みちのくへ下る途中であったのだ。
秀衡と西行とは、縁は遠いが、同族であった。その交誼よしみ から、かつての年、みちにくに行脚あんぎゃ して、平泉に、ひと冬、すごしたことなどもある。
すでに、大仏再興の には、その秀衡から東大寺へ、何度か、莫大な寄進はしていた。けれど、なおまだ、足らないのである。工はもう一段のところまで進んでいる。そのため重源の依頼を受けて奥州へ行く西行であった。
── と聞いて、頼朝は 「わが家の寄進は、先ごろ直々じきじき 、東大寺へ送ってある。さらば、貴僧の旅路へ、餞別はなむけ しよう」 と、重たげな銀の小猫こねこ を、彼に布施ふせ した。
西行は、あつく礼を述べて、衣の袖に、拝領の銀の猫をくるんで退がった。そして、新御所の門を出ると、ちょうど、秋の夕を、遊び暮れている子どもたちの群れがあった。
西行が、衣の袖に抱いていた物を見ると、子どもらは彼を取り巻き、「銀の猫、銀の猫」 と、はやしながら、 「見せて、見せて」」 と、せがみ合った。西行は相好そうごう くずして、子どもと同じ顔になっていた。そして 「欲しいか」 というと、たくさんな手が、すすき の穂みたいに、彼のまわりにそよ いだ。 「では、上げよう。みんなに上げる、みんなの物だよ。喧嘩けんか しないで、仲よくお遊び」
銀の猫をもった子どもらは、ゆるい 旋風つむじ のように、秋の辻を、ころがって行った。西行の影は、もう遠くだった。なお聞こえる童歌わらべうた を後ろに、山内やまのうち 街道の方へ、夕風に吹き送られて行くように、行く。
彼を、門外まで送って出た新御所の侍たちは、 「あら、勿体もったい なし」 と、おぞ気をふるって、内へ駆け込んだ。 「ほかならぬ二品にほん (頼朝) の君より、直々じきじき 拝領のお品を、門外一歩、すぐ路傍のわっぱ へ、くれて去るとは」 「恐れを知らぬ法師もあるわ。もし、お耳にはいらば、追い討ちうけて、八つ裂きにもされようものを」 「いや、秘しておけ。秘しておけ。あれや耄碌もうろく か、気が変なのにちがいない。さものうて、なんであんな貴い品を、草鞋わらじ でも捨てるように、惜しみもなく、くれられるものか」
たまり部屋の侍たちは、とそのつまり、気狂い法師と、かたづけていた。そして、上聞を怖れ、人にはいうなといいながら、 ればなしには、ついしゃべりあっていた。

*      *      *
「・・・・じつは拙者も、いうなといわれて、話された組ですが」
客は、長々と、語り終わってから、
「しかし、こういううわさは、早いもので、もう御近習もみな知っておる。上聞にもはいったでしょう。・・・・が、表立ってのお怒りも、いかがなものか。相手が相手です。苦々にがにが しげに、お聞き流しのほかござるまいて」
客は、面白そうに言う。
が、安達には、そんなことなど、どうでもいい。彼はただ、客の話で知り得た西行に、どうしても、もいちど会わねばならぬと、さっきから矢もたてもなかったのである。そればかりを眉につつんで考えつめた。
「いや、近ごろめずらしい話を伺った、だが御辺には、いつそのことを、お聞きなされたので」
「いつというて、つい、これへ参る前のことで」
「では、その西行とやらが、新御所を立ち去ってから、まだいく時も、時は過ぎていないわけよの」
「・・・・と思われるが、人のはなし。さて、それ以上には存じませぬが」
安達は、急に落ち着かなくなった。自然、客も間もなく腰を上げた。
「山内の方へと、たしかいった。みちのくへ下るお人なら、あれからの先も、知れておる。・・・・そうだ、おりから今宵は、名月の道」
安達は、うまや へ駆けた。そして、みずから鹿毛かげ の一頭をひき出し、裏門から乗って出た。
偶然、その日は、八月十五夜であった。さえぎるほどな雲もなく、世間十万、きれいにきよ めた昼みたいであった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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