「お会いできる」 安達は、確信した。馬をとばしながら、なんとなくそう思えた。 この名月
── おそらく、月に興じて、夜道の旅を愉
しんでおられよう。いや、きっと、そうだと、疑わなかった。 彼の直感はあたっていた。馬で二刻ふたとき
余りも駆けたろうか。山内、小袋、笠間などの山坂も越え、夜も深まり、途中幾つもの部落はみな、虫の秋を、寝沈んでいた。 そうしてもう前には、露ばかりな相模野さがみの
が展ひら けてあるだけだった。その果ても知れぬ野道だった。遠くに、ぽつんと、一個の黒い人影を彼は見つけた。 「オオ、おん僧、おん僧。しばらく、おとどまりくだされい」 驚かしてはと、わざと遠くで馬を捨て、駆け寄って、西行の前に、ひざまずいた。 「先夜、ゆくりなくお会いしながら、むざとお別れ申した、安達新三郎清経です。しばしお足を休めていただきとう存じまする」 「おう、あの夜のお方か。さてもそのおりは。・・・・して、何しに、これまで」 「貴僧が、西行どのとは、つゆ存じ奉らず、これほどな御縁を、むなしくしてはと」 「なんの。野僧にとっては、ありがたい水無瀬みなのせ
の砂丘おか の一夜、忘れはいたしますまい」 「いや、なんとも慙愧ざんき
にたえませぬ。じつ申せば、この清経は、後日の難を恐れて、あの帰路、貴僧のお命をうかごうていたのです。おん僧を斬り殺して、身の安堵あんど
を保たんとしていたのでした。そのお詫びをいたさなければと・・・・」 「そう、そんな風もありましたかな。武者の常、邪魔者を亡うしな
えば、それで、わが身が立ち、思いもままと、ついお考えになりやすいのであろう。だが、あなたのお主、頼朝公が、よいお手本ではありませぬかな」 「・・・・・・」 「かの平治ノ乱には、頼朝公も、まだ十三の少年でおわせられた。合戦にやぶれ、おん父義朝どのは、尾張の知多で、一族の家臣長田おさだ
なにがしのために、騙だま し討ちにされ、お湯殿でなぶり殺しの目に遭われた。・・・・さ、それが真白な少年のお心に、どんな性質さが
を生涯に与えたか。人間とは信じ得ぬもの ── 骨肉であろうがたれであろうが ── とする、あのお人の冷たさやら非情は、それに根ざすといえぬこともありませぬ」 「・・・・・・」 「また、こういう例もある。頼朝公が、蛭ヶ島の配所にお暮らしのころ、北条どのの息女
(政子) とは、まだ結ばれぬ前でやあろう。伊東祐親入道の姫の許へ、しげしげ通わせられたそうな。姫はいつか妊娠みごも
られ、事露見に及ぶや、親の伊藤入道は、平家をはばかり恐れて、姫が産んだお子を、家臣の手で、淵ふち
へ投げ捨てさせたという。そういう前例がここにあった。・・・・なんと、恐ろしいことではあるまいか。今日の源二位げんにい
頼朝公は、かつて、御自分が他人から受けた非情を、意識なく、今日では、御舎弟の判官どのへ、しておられるのじゃ。平然とそれをなされながら、なんら非情とは、お考えにもなっておらぬ」 「げにも、仰せを伺えば」 「・・・・いや、人の誹そし
りめいたことなど申せる西行でもありませぬ。けれど、人を打てば、打たれた者が、その非情を、また他へ返すのを、自然なんともしなくなるという世が、末かけて、恐ろしく思えてならないのです。ましてそれを、権者が権力にかけてする段になってはの」 「まこと、思い当たることばかりです。この身の過去にとっても」 「いあやいや、御辺に限らず、乱の世とは、それの烈しいもの、つまり仕返しの仕競しくら
べです。── 保延ほうえん 六年、自分が二十三の年、世の兆きざ
しのただならぬを観み 、妻子や官位も捨てて出家してから、いつかこの西行も、ことし六十九ににもなりました。が、まだ世の様は、こんなものです。人間がみな、ほんとのわれに返ったとは見えません。生き代り死に代わり、争い争うても、しょせん、極みのない業ごう
だとさとる日は、何日いつ なのでしょう。──
で、つい自然の風月や花や鳥のみを、友としていたくなり、あわれ老いさらぼうても、まだ風流には飽きませぬ。安達どの、お笑いください。御辺がたのお眼から見れば、まこと無用な人間に過ぎませぬのじゃ、この西行のごときはの」 「な、なんの・・・・」
と、安達は真剣な眼をして、露の中から、その体を、にじりすすめた。 「お願いがございまする。生涯のお願いです」 「この法師に、はて、何事の・・・・」 「み弟子におゆるし給わりませ。み弟子の端になと」 「御発心ごほっしん
か」 「業ごう の武家勤めには、耐えられなくなりました。どうしたら、よろしいでしょう。真実の道へ、生きあらてめてゆくには」 「せっかくじゃが、西行には、そのおん悩みに、こうぞと、お答えできる何ものも持ち合わせてはおりません。弟子をもつなどは、思いもよらぬこと。身一つだに行き暮れている貧僧です。・・・・もしその御発心が、やむにやまれぬものならば、都の黒谷におわす法然上人ほうねんしょうにんの御草庵ごそうあん
でも一度訪うて、ただしてみらるるがよいでしょう」 「では、清経がお願いの儀は」 「迷惑です、それこそ迷惑というものです。・・・・また出家の道とて、やさしくはありません。大勇猛心がなくては能かな
いますまい。ああ、思い出します。わたくしが出家の第一日には、すがるわが子を、縁から下へ蹴放けはな
したものでした。それから四十六年もたっております。・・・・が今、御辺のお口から、発心のうごきを承うけたまわ
ると、たちまち四十六年前の、わが子や妻の、その日の悲嘆や叫びが、耳の底から聞こえて来ます。── それほど立ち難いものを ── 事やさしゅう考えて、生なま
なか似而非 え せ 出家をとげ、偽りの僧衣をかぶって、世をも自分をもあざむいて渡るより、まだまだあるがままの俗がよいでしょう。・・・・あまたの郎党や妻子もおありでしょうに、よくよく御思案のうえでも遅くはありますまい」 西行は、そういい終わると、いつかの由比ヶ浜の夜のように、瓢ひょう
として、すたすた行ってしまった。その影は、見る間に白い露の一粒ひとつぶ
と化か して、月の野は、ただ漫々まんまん
たる虫の音ね のほか、何もなかった。 |