〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/15 (金) ねこめい げつ (三)

「お会いできる」
安達は、確信した。馬をとばしながら、なんとなくそう思えた。
この名月 ──
おそらく、月に興じて、夜道の旅をたの しんでおられよう。いや、きっと、そうだと、疑わなかった。
彼の直感はあたっていた。馬で二刻ふたとき 余りも駆けたろうか。山内、小袋、笠間などの山坂も越え、夜も深まり、途中幾つもの部落はみな、虫の秋を、寝沈んでいた。
そうしてもう前には、露ばかりな相模野さがみのひら けてあるだけだった。その果ても知れぬ野道だった。遠くに、ぽつんと、一個の黒い人影を彼は見つけた。
「オオ、おん僧、おん僧。しばらく、おとどまりくだされい」
驚かしてはと、わざと遠くで馬を捨て、駆け寄って、西行の前に、ひざまずいた。
「先夜、ゆくりなくお会いしながら、むざとお別れ申した、安達新三郎清経です。しばしお足を休めていただきとう存じまする」
「おう、あの夜のお方か。さてもそのおりは。・・・・して、何しに、これまで」
「貴僧が、西行どのとは、つゆ存じ奉らず、これほどな御縁を、むなしくしてはと」
「なんの。野僧にとっては、ありがたい水無瀬みなのせ砂丘おか の一夜、忘れはいたしますまい」
「いや、なんとも慙愧ざんき にたえませぬ。じつ申せば、この清経は、後日の難を恐れて、あの帰路、貴僧のお命をうかごうていたのです。おん僧を斬り殺して、身の安堵あんど を保たんとしていたのでした。そのお詫びをいたさなければと・・・・」
「そう、そんな風もありましたかな。武者の常、邪魔者をうしな えば、それで、わが身が立ち、思いもままと、ついお考えになりやすいのであろう。だが、あなたのお主、頼朝公が、よいお手本ではありませぬかな」
「・・・・・・」
「かの平治ノ乱には、頼朝公も、まだ十三の少年でおわせられた。合戦にやぶれ、おん父義朝どのは、尾張の知多で、一族の家臣長田おさだ なにがしのために、だま し討ちにされ、お湯殿でなぶり殺しの目に遭われた。・・・・さ、それが真白な少年のお心に、どんな性質さが を生涯に与えたか。人間とは信じ得ぬもの ── 骨肉であろうがたれであろうが ── とする、あのお人の冷たさやら非情は、それに根ざすといえぬこともありませぬ」
「・・・・・・」
「また、こういう例もある。頼朝公が、蛭ヶ島の配所にお暮らしのころ、北条どのの息女 (政子) とは、まだ結ばれぬ前でやあろう。伊東祐親入道の姫の許へ、しげしげ通わせられたそうな。姫はいつか妊娠みごも られ、事露見に及ぶや、親の伊藤入道は、平家をはばかり恐れて、姫が産んだお子を、家臣の手で、ふち へ投げ捨てさせたという。そういう前例がここにあった。・・・・なんと、恐ろしいことではあるまいか。今日の源二位げんにい 頼朝公は、かつて、御自分が他人から受けた非情を、意識なく、今日では、御舎弟の判官どのへ、しておられるのじゃ。平然とそれをなされながら、なんら非情とは、お考えにもなっておらぬ」
「げにも、仰せを伺えば」
「・・・・いや、人のそし りめいたことなど申せる西行でもありませぬ。けれど、人を打てば、打たれた者が、その非情を、また他へ返すのを、自然なんともしなくなるという世が、末かけて、恐ろしく思えてならないのです。ましてそれを、権者が権力にかけてする段になってはの」
「まこと、思い当たることばかりです。この身の過去にとっても」
「いあやいや、御辺に限らず、乱の世とは、それの烈しいもの、つまり仕返しの仕競しくら べです。── 保延ほうえん 六年、自分が二十三の年、世のきざ しのただならぬを 、妻子や官位も捨てて出家してから、いつかこの西行も、ことし六十九ににもなりました。が、まだ世の様は、こんなものです。人間がみな、ほんとのわれに返ったとは見えません。生き代り死に代わり、争い争うても、しょせん、極みのないごう だとさとる日は、何日いつ なのでしょう。── で、つい自然の風月や花や鳥のみを、友としていたくなり、あわれ老いさらぼうても、まだ風流には飽きませぬ。安達どの、お笑いください。御辺がたのお眼から見れば、まこと無用な人間に過ぎませぬのじゃ、この西行のごときはの」
「な、なんの・・・・」 と、安達は真剣な眼をして、露の中から、その体を、にじりすすめた。 「お願いがございまする。生涯のお願いです」
「この法師に、はて、何事の・・・・」
「み弟子におゆるし給わりませ。み弟子の端になと」
御発心ごほっしん か」
ごう の武家勤めには、耐えられなくなりました。どうしたら、よろしいでしょう。真実の道へ、生きあらてめてゆくには」
「せっかくじゃが、西行には、そのおん悩みに、こうぞと、お答えできる何ものも持ち合わせてはおりません。弟子をもつなどは、思いもよらぬこと。身一つだに行き暮れている貧僧です。・・・・もしその御発心が、やむにやまれぬものならば、都の黒谷におわす法然上人ほうねんしょうにん御草庵ごそうあん でも一度訪うて、ただしてみらるるがよいでしょう」
「では、清経がお願いの儀は」
「迷惑です、それこそ迷惑というものです。・・・・また出家の道とて、やさしくはありません。大勇猛心がなくてはかな いますまい。ああ、思い出します。わたくしが出家の第一日には、すがるわが子を、縁から下へ蹴放けはな したものでした。それから四十六年もたっております。・・・・が今、御辺のお口から、発心のうごきをうけたまわ ると、たちまち四十六年前の、わが子や妻の、その日の悲嘆や叫びが、耳の底から聞こえて来ます。── それほど立ち難いものを ── 事やさしゅう考えて、なま なか似而非 え せ 出家をとげ、偽りの僧衣をかぶって、世をも自分をもあざむいて渡るより、まだまだあるがままの俗がよいでしょう。・・・・あまたの郎党や妻子もおありでしょうに、よくよく御思案のうえでも遅くはありますまい」
西行は、そういい終わると、いつかの由比ヶ浜の夜のように、ひょう として、すたすた行ってしまった。その影は、見る間に白い露の一粒ひとつぶ して、月の野は、ただ漫々まんまん たる虫の のほか、何もなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ