翌日、安達新三郎は、問注所の執事室で、祐筆
の盛時や俊兼たちと、会っていた。 事の報告に出たのである。 俊兼は、幕府記録に、彼の言をとどめ、 「ご苦労でした」 と、簿ぼ
を閉じて、ひと言、いった。 しかし、ようなされたとはたれも言わない。公命、是非なしとしても嬰児えいじ
の処分については、思うだに、たれも快こころよ
くはしていない風だった。 盛時が、また安達へ訊たず
ねた。 「静しずか 御前ごぜ
は、どうしましたか」 「子を差し出した後は、構いなしとの上命のまま、昨夜、お預かりの身柄を解き、母の禅尼とともに屋敷を出ました」 「都へ帰って行ったものか」 「たぶん、さようかと、思われるが」 「では、これで、まず一儀も落着と申すもの」 「君前へは」 「那通くにみち
から、すでに御披露に及んでおる由。其許そこもと
のお答えも、問注所の日簿にちぼ
とともに、お達し申し上げておく。気づかいあるな」 三月以来の任は終わった。 安達は、久しぶりに身軽を覚えた。けれど、人の陰口は、彼の非情をよく言わなかった。彼を見る人の眼に荊とげ
があった。安達にはそれが分かる。彼は門を閉じて、ひき籠こも
った。 それから、半月ほど後、八月中旬ごろのことである。 その宵、たまたま訪れた客の口から、主あるじ
の安達は、ふと、思いがけないことを、耳にした。 客の話しに、前後をすこし補足すれば、それは、次のような事実であった。 |