〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/08 (金) しゅつ しょう とどけ (三)

頼朝の柳営りゅうえい大蔵谷おおくらやつ の新御所へ伺候し、奥祐筆の那通えおとおして、静の安産と、また、男子出生の由を、届け出た。
那通は、彼へ、
「このことは、おおたけ ならぬ御内意のもの、おりをうかがってお耳へ達しておこう。・・・・ちょうど今日は、因幡いなば どの (大江広元) が都から帰って、北条殿やそのほかと、御前において、何か、こみ入ったお話のようでもあれば」
と、奥の様子を見て言った。
そして、なお、
「このところまた、判官どのの詮議せんぎ と、所在の謎について、在京の左典厩さてんきゅう どの (一条能保よしやす ) やら、院との間にも、明け暮れ、頻繁ひんぱん なお使いの り取りなのだ・・・・。そうしたおりもおり、とう のおたずびと たる者のたね が、この鎌倉で産まれ落ちるとは、さても、世は皮肉」
と、ささやいたりした。
薄ら笑う彼に、安達は何か、むかつきを覚えた。多年の親友である彼が、急に相容れない異質みたいに思われた。
「では、後刻なりとも、よしなに上聞のほどを」
とのみで、安達は、営中を退った。
静は、まだ何も知るまい。そう思うにつけ、ひとつ邸内にいることとて、見まいとしても、初産後の ── かの女の哺乳ほにゅう の姿は、朝夕となく眼に入る。嬰児あかご の声が耳につく。
「頼朝公と判官どのとの、おん仲が、こうでなければ」
と、思いやらずにいられない。
深夜、ふと産屋の方でする泣き声には、 「── 父よいずこに」 と、無心が求める絶叫が感じられる。安達とて、人のこの親。たまらない夜々だった。
── 沙汰はなく、そのまま、半月ほど過ぎた。
しかし、頼朝が忘れていたわけではない。
やがてうるう 七月も、終わりかけた、月の二十九日。内示が下って、
「── 反逆人義経のたね 、男子とあっては、将来の禍因かいん 。芽のうちに むをよし とする。襁褓きょうほう (むつき) にくるんで、由比ヶ浜に投げ捨てよとの御諚ごじょう でござる」
と、使者那通くにみち に、検視の八田太郎はったのたろう 朝重ともしげ梶原三郎かじわらのさぶろう景家かげいえ たちが、安達に屋敷へ臨んで、厳達した。
それも、
「こよいの、うちに」
と、事も急な、厳命なのだ。
「なお、静と禅尼の身柄は、即刻、当家を放ち、都へ追っ返すべし ── との仰せでもあった」
と、これは梶原景家の付け加えである。
安達には、意外でもなんでもない。
ただ、ひとごとならぬ同情と義憤に、その面を少し青白ませただけである。だから言下に、
「心得申した」
とは答えたものの、どこかに、業腹ごうはら な語気がないでもない。その語気で、
「── とくと、御諚を静に申し聞かせて、得心させますれば、その間、これにて御休息ねがいたい」
と、彼らを客書院におく、安達一人だけで、北庭の産屋の内へ、その是非なき君命を言い渡すべく、出て行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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