〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/07 (木) つるおか きょく (四)

── 静は、舞いつづけている。
吉野の雪にもまがう水干すいかん の袖は、鎌倉武士の眼にも熱いものを覚えさせた。すべてを忍んで、別離に生き抜こうとする女の真情が、壮烈にさえ思われた。諸大名の中には、簾中れんちゅう の頼朝夫妻に知れぬように、そっと、涙をふいた者もある。
今のは、別れもの であった。静は、その一さしを終わると、やや朗々たる声で、また自作の一首を、
    しづやしづ
    しず のをだまき
    くり返し
    むかしを今に
    なすよしもがな
と、歌いつつ舞った。
元の座へ返って、簾中の方へ、手をつかえた。── 依然、水を打った如く、酔えるが如く、御簾みす の内も、諸大名の満座も、ひそまったままだった。どの顔にもまだ 「われ」 がかえ って来ないかのようであった。
「何が、見事ぞ。何があわれぞ。不吉な舞を。── 憎い女め」
あきらかに、頼朝の激語だった。
政子へ言ったものだろう。一そうな高声で、周囲の臣へ、また言っていた。
「ここは、八幡宮の宝前ほうぜん なるぞ。ここの舞殿ぶでん でする芸ならば、関東の万歳を祝してこそ、神妙の舞といってよい。さるを、頼朝の面前も、はばかりなく、不逞ふてい 、義経を慕い、別れの曲を歌うとは何事かよ。・・・・頼朝への恨みつらみか。奇怪至極」
もう一言待っていたら、安達新三郎を召して 「引っくく って立ち帰り、即座に れ」 と命じたかもしれないほどな怒り方だった。
が、政子は、しきりに、それをなだ めた。
── むかし、石橋山の合戦に頼朝が敗れた後、政子は、良人おっと と別れて、久しく伊豆山の孤房にひとり隠れていたことがある。
「恋も別離の情も、御存じないあなたではありますまいに」 と、かの女に言われて、ようやく頼朝も不興の色をやわらげて来た。否むしろ、当時の自分と政子の旧事など思い出されたことに違いない。苦々しげではあったが、
「わかった、もうよい・・・・。そなたから、なんぞ纏頭かずけもの (褒美) でも、つかわせ」
と、微笑をもらした。
で、簾中から、静へ、はな がさ ねの御衣おんぞ 一襲ひとかさ ねが、下げ渡された。
夫妻はすぐ座を立った。群臣も揺れ立って、御帰館の送りに、各所へ分かれ流れて行く。政子は簾外の廊から、もいちど、静の姿を振り向いていた。── そして、かの女の眼は、女の体の異状を、もう的確に見とどけていた。
「五ツ月であろうか、四月よつき であろうか。いずれにしても、ただの身ではない。九郎どののたね を宿していやる・・・・」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next