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静は、舞いつづけている。 吉野の雪にもまがう水干
の袖は、鎌倉武士の眼にも熱いものを覚えさせた。すべてを忍んで、別離に生き抜こうとする女の真情が、壮烈にさえ思われた。諸大名の中には、簾中れんちゅう
の頼朝夫妻に知れぬように、そっと、涙をふいた者もある。 今のは、別れ曲もの
であった。静は、その一さしを終わると、やや朗々たる声で、また自作の一首を、 しづやしづ 賎しず
のをだまき くり返し むかしを今に なすよしもがな と、歌いつつ舞った。 元の座へ返って、簾中の方へ、手をつかえた。──
依然、水を打った如く、酔えるが如く、御簾みす
の内も、諸大名の満座も、ひそまったままだった。どの顔にもまだ 「われ」 が還かえ
って来ないかのようであった。 「何が、見事ぞ。何があわれぞ。不吉な舞を。── 憎い女め」 あきらかに、頼朝の激語だった。 政子へ言ったものだろう。一そうな高声で、周囲の臣へ、また言っていた。 「ここは、八幡宮の宝前ほうぜん
なるぞ。ここの舞殿ぶでん でする芸ならば、関東の万歳を祝してこそ、神妙の舞といってよい。さるを、頼朝の面前も、はばかりなく、不逞ふてい
の徒と 、義経を慕い、別れの曲を歌うとは何事かよ。・・・・頼朝への恨みつらみか。奇怪至極」 もう一言待っていたら、安達新三郎を召して
「引っ縛くく って立ち帰り、即座に斬き
れ」 と命じたかもしれないほどな怒り方だった。 が、政子は、しきりに、それを宥なだ
めた。 ── むかし、石橋山の合戦に頼朝が敗れた後、政子は、良人おっと
と別れて、久しく伊豆山の孤房にひとり隠れていたことがある。 「恋も別離の情も、御存じないあなたではありますまいに」 と、かの女に言われて、ようやく頼朝も不興の色をやわらげて来た。否むしろ、当時の自分と政子の旧事など思い出されたことに違いない。苦々しげではあったが、 「わかった、もうよい・・・・。そなたから、なんぞ纏頭かずけ
の物もの (褒美)
でも、つかわせ」 と、微笑をもらした。 で、簾中から、静へ、卯う
ノ花はな 重がさ
ねの御衣おんぞ 一襲ひとかさ
ねが、下げ渡された。 夫妻はすぐ座を立った。群臣も揺れ立って、御帰館の送りに、各所へ分かれ流れて行く。政子は簾外の廊から、もいちど、静の姿を振り向いていた。──
そして、かの女の眼は、女の体の異状を、もう的確に見とどけていた。 「五ツ月であろうか、四月よつき
であろうか。いずれにしても、ただの身ではない。九郎どのの胤たね
を宿していやる・・・・」 |