〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/07 (木) つるおか きょく (三)

義経は、四月上旬のころ、奈良にいた。
東大寺の得業とくぎょう 、勧修房聖光の一院に、前月以来、匿われていたのである。
これへ、潜行する前。
伊賀山中で、ほかの者と別れ、奈良では、武蔵坊たち、六名の朗従しか連れていなかった。
その間、勧修房聖光は、ひそかに二、三度上洛している。
九条家の家司けいし木工頭もくのかみ 範李のりすえ と、密々の連絡をとって、義経の身を、一時、どこよりも安全な院中に隠そうとするための奔走ほんそう らしい。
後白河の御本心や、またその後の、院中の情勢などな、混沌こんとん としていて、外部からは、よく分かるはずもなかった。
けれど、義経の望みは、今はただ、そのお一方のお力のみ仰いでいた。── 後白河のお口ききだけが、兄頼朝の誤解をといて、その怒りをなだめてくれる唯一な最上な道と頼んでいたのである。
一方。
静の消息も、都の風聞を持ち帰った、聖光の口から聞いていた。
「ああ、さては、正近や有綱たちの一策も、むなしかりしか・・・・」
静奪回のため、伊賀で別れた面々の失敗も、それで分かったが、彼らの生死は、まるきり知れない。
「こう、ちりぢりに、別れ果てては」
ようやく、彼も、潜伏に んでいた。
聖光は、先ごろから、また都に出ていて、不在だった。── その朝は早暁から、奈良じゅうの鐘が、なんとなく、あいあいと、温かな慈悲の音を、仏都の空に、揺り揚げていた。
「いつしか、四月八日。今日は釈尊しゃくそん誕生会たんじょうえ でございましたな」
弁慶は、亡母はは のさめじょ の供養に、勧修房の内陣ないじん で一巻の経を み、義経の室へ来て、そこの小机の上にも、銀の小観音が置かれてあるのを見て、
「おお、殿にも、御念誦ごねんず でござりましたか」
と、そばへすわった。
義経は、淋しげに、苦笑して。
「不幸を、亡母はは びていたところだ。── 武門、それへはし ることを、あんなにまで、いましめ抜いていた亡母はは 。それを裏切っただけでも、わしのこうあるのは、自然の冥罰みょうばつ というものであろう」
「やめましょう。おふくろの話となると、この弁慶も、たまりませぬ。それよりは、なんとうららかな空。寺々の花祭りも、さぞ賑おうておりましょうわい」
「弁慶、とも せぬか」
「どちらへ」
「そっと、大仏殿だいぶつでん誕生会たんじょうえもう でたい」
「それや、よろしゅうございましょうが、今日の人出、いかがなもので」
「いやいや、雑踏なれば、なお人目に立つまい。余の者は連れず、二人だけで」
僧形の弁慶には、変装も要らなかった。義経は、藺笠いがさ をかぶり、粗末な狩衣かりぎぬ に、ワラ草履という身軽さで、ぶらと、裏門の藪道やぶみち から出て行った。
おなじ東大寺境内である。百歩も歩くと、すぐ、工事中の大仏殿の大足場が宙に仰がれる。
かつて、炎上の厄に遭った盧遮那仏るしゃなぶつ も、今は再建されかけている。
山のごとき仏体のお首から肩の辺までは、もう、鍍金ときん も仕上がりかけていた。その光明は、この世の平和と供に ── という華厳けごん弘誓ぐぜい をこの世に生みかけているものに見える。けれど、外部のサヤ堂、つまり大仏殿だいぶつでん は、まだ未完成で、巨大な足場に囲まれていた。
その建造にも、まだ莫大ばくだい な費用がかかる。そのため、建立勧進こんりゅうかんじんの同行が、諸国諸道にわたって、一紙半銭の寄進を集めに歩いているとか。奥州の藤原秀衡ふじわらひでひらなどは、沙金さきん の産地とて、有力な大檀家おおだんか の一人であるとか、聞こえていた。
── 人ごみの中を、義経は、縫い歩いていた。祈念をすまし、花御堂に香を上げ、何か、久しぶり、一庶民となった気やすさに、今の危険な身も、つい忘れていたのである。
「や。判官どのだ」
往来の眼の一つが、キラと、彼の藺笠いがさ の内をのぞいて、つばめ のように、どこかへ、影をかえ して行った。
六波羅の鬼、北条{仗ほうじょうけんじょう時定ときさだ の配下だったのか。── 義経は何も気づいていない。── 弁慶とともに、勧修房へ帰って行くその後ろ姿へ、すでに、さっきの男だけでなく、放免ほうめん (密偵) ていの者幾人もが、見え隠れに、尾行していた。
仏縁仏果の日というのに、なぜか、彼にはわる であった。
いや、危険は、彼だけに迫っていたのではない。
奈良の空、鎌倉の空。
かよ いあう何ものも二人の間にはなかったものを、魔は、同じ日の同じ時刻のころ、鶴ヶ岡の、静の身へも、はい寄っていたのであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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