〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/04 (月) なぶ  る (二)

「なんの、忘れているものか」
景家は、さっそく、主の安達に、ひざを向けて、
「── 時に、亭主ノ 、頼みなあるが」
と、杯をさした。
いずれ酒のうえのことと、安達新三郎は、真顔と苦笑を半々に。
「何事でおざる。あらたまって、お頼みとは」
「余の儀でもないが、さい つころより当家には、span>予州よしゅう (義経)しょう 、静と申すものを、お預かりしているとか」
「充分、御承知の儀であろうが」
「されば、じつは知り過ぎるほど知っておる。以前の身は、君立ち川の白拍子しらびょうし鼓師つづみし いそ大掾だいじょう の娘で、幼きより、舞の上手と聞こえも高く、かつて、清涼殿せいりょうでん御庭みにわ にて、雨乞いの御祈祷会ごきとうえ のありしせつ、選ばれた十六人の舞女ぶじょ のうち、その舞といい、容姿といい、まこと、都一みやこいち の美女と、殿上にまで言いはやされたこともあるとか」
「はははは。さまで御存知なれば、なにも、拙者ずれに、おたず ねにも及ぶまいに」
「いや、おねだりはこれからのこと。── それほどなしずかまえ と聞くゆえに、ぜひ一度じゃ見たいというのが正直われらの願い。ひとつ、静ノ前を、これへ呼んで、その舞い振りを、見せて給わるまいか」
「はて、これや御無態な所望。この安達とて、ちと、迷惑つかまつる」
「御迷惑とな」
「ほかならぬ大切なあずかびと
「なんの、そのはばかりなら、決して、御懸念には及ばぬ」
「とは申せ、おかみ へたいして」
「いや、いや。それとなき、みゆるしもあってのこと。・・・・そうだの」
と、景家は急に、那通くにみち を振り向いて、
「これからは、和殿が安達へかけ合うのが筋道であろう。── 那通、話せ」
と、小狡こずる い顔に、苦笑を浮かべて、うまく肩代わりして逃げた。
藤判官代とうのほうがんだい那通くにみち は、この若御家人の中では、ただ一人、年ちがいだった。かけ離れて、老けている。
頼朝とは、ひるしま 時代からの、側人そばびと だし、政子との仲も古い。
根が剽気者ひょうげもの なので、頼朝夫妻に愛されている、というよりも、奥祐筆おくゆうひつ を兼ねて、下情を上につう じるよい道具に召使われているといった方が正しいだろう。── その那通が、
「じつは・・・・」
と真顔で言うのだから、安達も、ただの酒興や、作り事とは聞いていられない。
二品にほん (頼朝)きみ 以上、御台所みだいどころ にはまた、人いちばい、静御前の身の上に、ひそかなお心をかけておられる。── これは道理なわけで」
と、那通くにみち は、そこで少し、声を落とした。
「── 俗にいうなら、御台所にとれば、静御前は、側室といえ、御舎弟の妻。つまりあによめ 。・・・・かつまた、都一の美女、舞の上手とも聞かれれば、女性にょしょう と女性、どんな女子おなご ぞと、垣間見かいまみ ごころに似た御興味をおもち遊ばすもむりではない」
「なるほど」
「・・・・で、ようお訊ねがあるのでござる。この那通へ」
「静ノ前の様子を」
「されば、御台所お直々じきじき に。・・・・ところが、その都度、お答えのしようがない。何せい、他人の垣の内にある見ぬ花では」
「それゆえ、そっと、見せよとのお望みなので」
「いかにも。── なお仔細しさい を申せば、今日の昼、梶原どののお招宴まねき の席でも、ちらとそのようなことを、もらしたところ、梶原どのも、それやお答えに困ろう。いちどは、安達の家をおとずれるもよかろうとの御意ぎょい 。子息景家どのもまた、さらば何日いつ といわず、早いがよい。ここに居合わす人びとで、今宵にも、安達を訪わん・・・・と、じつは押しかけて参ったもの。決して、後日、御迷惑のかかる気づかいはござりませぬ」
いかにも、分別顔にいう。事実、那通は、政子に かれて、幾たびか、無能な返辞に、頭をかいたものかもしれない。
「わかりました。だが、当人がどう言うか、お望みの旨を、とにかく静御前しずかごぜ 母子おやこ へ、申しやってみるといたそう」
むね を離れた邸内の一亭いってい へ、安達は家来をやって、迎えさせた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next