業
を煮やしたものと見える。 その日は、静をいちど揚屋あがりや
へ退さ げ、午ひる
すぎ、再び取調べが、つづけられた。だが、奉行たちの聞きえた自白は何一つなかった。威嚇いかく
も騙だま しも、効き目はない。ついには、彼ら自身、ほとほと自身の根負けを認め
「── こうまで、申しきっているのをみれば、申し立てに嘘はないに違いない」 と、思わずにいられなかった。で、 「このうえは、ただ台命を待って」 と、調べを打ち切り、静の身は、一応また、安達新三郎の邸へ帰された。 それから数日、何の沙汰もない。 下向以来の母子を、預っていた主あるじ
の安達清経も、磯ノ禅尼へむかって、 「このように、上命が延びているところをみると、御吟味もこれまでとして、近々、都へ帰れとの、おゆるしが出るかも知れぬ」 と、言ってくれたりした。 禅尼は、もう全く、その気になっているらしく、帰り支度の小袖こそで
を縫うやら、土産物までととのえて、いそいそしていた。 しかし静には、鎌倉どのの寛大などは、さらさら、信じられない。御舎弟の判官どのをさえ、あのようにして顧みぬお方ではないか。 むしろかの女は、人知れぬ不安を一そう深めていた。そして日々のように、胎内の月日をひとり数えていた。かの女の身に宿したものの日立は、この三月で、ほぼ五ツ月になろうとしている。 「もし、身の懐胎かいたい
が、鎌倉どののお耳へ、それと聞こえたら?」 ただでさえ、妊婦の心は、本能的に研と
がれ勝ちとなり、母身の保護に、警戒深くなるという。 まして、敵中にいて、敵の子の胤たね
を宿しているかの女。 五ツ月の帯も、他人ひと
にさとられまいとして、かたくかたく締めていた。── かの麻鳥が、 「お妊娠みごもり
の十月とつき のあいだ、ふと気分のすぐれぬときは、すぐこれを煎せん
じて御服用あれ」 と、調薬してくれた包みもあったが、かの女は、その煎薬せんやく
も、ここでは一度も用いなかった。 もし、薬を煮に
て、薬の香から、邸内の男女に 「・・・・おや?」 と、怪しまれてはと、それすら、惧おそ
れられたからである。 すると、四月にはいったある夕のこと。 梶原景時の三男三郎景家かげいえ
、千葉常胤の子平次常秀、八田太郎はったのたろう
朝重ともしげ などの、時めく重臣の息子たちやら、例の通人つうじん
で剽軽ひょうきん な鎌倉どののお伽衆とぎしゅう
ともいうべき藤那通とうにくにみち
が、遠来の一客を連れて、 「安達どの、おいでか」 「新三郎どの。一酌いっしゃく
、所望に参ったぞ」 と、すでにどこかで酔い飽いた気まぐれ足を、どやどやと、ここの門へ向けて、日ごろの親しみをそのまま、無遠慮に、奥の主あるじ
を呼びたてた。 |