〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/03 (日) 五 ツ つきおび (三)

ごう を煮やしたものと見える。
その日は、静をいちど揚屋あがりや退 げ、ひる すぎ、再び取調べが、つづけられた。だが、奉行たちの聞きえた自白は何一つなかった。威嚇いかくだま しも、効き目はない。ついには、彼ら自身、ほとほと自身の根負けを認め 「── こうまで、申しきっているのをみれば、申し立てに嘘はないに違いない」 と、思わずにいられなかった。で、
「このうえは、ただ台命を待って」
と、調べを打ち切り、静の身は、一応また、安達新三郎の邸へ帰された。
それから数日、何の沙汰もない。
下向以来の母子を、預っていたあるじ の安達清経も、磯ノ禅尼へむかって、
「このように、上命が延びているところをみると、御吟味もこれまでとして、近々、都へ帰れとの、おゆるしが出るかも知れぬ」
と、言ってくれたりした。
禅尼は、もう全く、その気になっているらしく、帰り支度の小袖こそで を縫うやら、土産物までととのえて、いそいそしていた。
しかし静には、鎌倉どのの寛大などは、さらさら、信じられない。御舎弟の判官どのをさえ、あのようにして顧みぬお方ではないか。
むしろかの女は、人知れぬ不安を一そう深めていた。そして日々のように、胎内の月日をひとり数えていた。かの女の身に宿したものの日立は、この三月で、ほぼ五ツ月になろうとしている。
「もし、身の懐胎かいたい が、鎌倉どののお耳へ、それと聞こえたら?」
ただでさえ、妊婦の心は、本能的に がれ勝ちとなり、母身の保護に、警戒深くなるという。
まして、敵中にいて、敵の子のたね を宿しているかの女。
五ツ月の帯も、他人ひと にさとられまいとして、かたくかたく締めていた。── かの麻鳥が、 「お妊娠みごもり十月とつき のあいだ、ふと気分のすぐれぬときは、すぐこれをせん じて御服用あれ」 と、調薬してくれた包みもあったが、かの女は、その煎薬せんやく も、ここでは一度も用いなかった。
もし、薬を て、薬の香から、邸内の男女に 「・・・・おや?」 と、怪しまれてはと、それすら、おそ れられたからである。
すると、四月にはいったある夕のこと。
梶原景時の三男三郎景家かげいえ 、千葉常胤の子平次常秀、八田太郎はったのたろう 朝重ともしげ などの、時めく重臣の息子たちやら、例の通人つうじん剽軽ひょうきん な鎌倉どののお伽衆とぎしゅう ともいうべき藤那通とうにくにみち が、遠来の一客を連れて、
「安達どの、おいでか」
「新三郎どの。一酌いっしゃく 、所望に参ったぞ」
と、すでにどこかで酔い飽いた気まぐれ足を、どやどやと、ここの門へ向けて、日ごろの親しみをそのまま、無遠慮に、奥のあるじ を呼びたてた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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