〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/03 (日) 五 ツ つきおび (二)

吟味は、白洲しらす でなく、広床ひろゆか をひかえた横の、訴人部屋で行われた。
わずかな、いたわ りと言ってよい。
その日も、正面に執事しつじ 藤原俊兼、祐筆ゆうひつ 盛時などの問注所衆が、むずかしい顔と威儀を居ならべていた。
ここに引き据えられた者は、荒胆あらぎも の男でもすく み上がると言われている。あたりの様と、静の姿とは、余りにも、そぐわなかった。── 俊兼たちは、しばらくかの女の落ち着きを待つ風だったが、やがて吟味の語気には、仮借かしゃく もなかった。
しずか 、なぜ、まっすぐに、知る限りを申し上げて、早う御宥免ごゆうめん の身とならぬか。今日は、偽りを言わせぬぞ」
「・・・・おことばではありますが、もう知る限りは申し上げ、つゆ偽りも、述べた覚えはありませぬ」
「六波羅での答えは、また、ここでの答え。すべて、伊予 (義経) どのから言われたままを、くり返しているのであろうが、。まるで、型で したような」
「・・・・でも、それしかお答えのしようもありませぬ。吉野の奥で、お別れを告げ、ひとり道をさまようて、蔵王堂ざおうどう の僧に捕われたまでのこと」
「女人禁制の大峰。あれより奥へ行けぬのは知れたことだ。しかも大雪の中、一ノ鳥居まではともにいたとあれば、先々、落ち合う約束があったればこそであろう。ひと言、そこを白状せよ。── 後日、どこで会わんと約束して、別れたのか」
「なぜ、そまでお疑いなのでしょう。鎌倉風ではどうか存じませぬが、わが良人つま は、女子のわらわへなど、御主従の大事をももらすお方ではありませぬ。よしやまた、後日の約をつがえようにも、おみずからさえ、どう越え行くか、分からぬものを」
「では、どう責めても、知らぬ存ぜぬで通そうという心か」
「知らぬものは・・・・」
「と、優しげに言うが、五日余りを、山上に逗留とうりゅう 中、一体、吉野の何者がかく もうていたのか、その名も明かさぬではないか」
「お世話を賜わったお人の御恩にたいし、身に代えても、その人の名は、申されませぬ」
「それみよ。うそまこと を、つかい分けているのであろうが」
「もしそのため、罪せられるなら、それも、ぜひもないことでございます。恩を仇でお返しするより、まだしも、心は救われましょう」
「・・・・ええ、なんのかのと、じょうこわ い」
交互に、責めていたが、俊兼も盛時も、やがては、あぐね果てた容子だった。
そしてつくづく、六波羅の調書も見直している風だったが、静が、ここへ来てから加えた事実は一語もなかった。これでは、なんのために、静母子の身を、わざわざ関東まで呼び下したか、意味がない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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