吟味は、白洲
でなく、広床ひろゆか をひかえた横の、訴人部屋で行われた。 わずかな、宥いたわ
りと言ってよい。 その日も、正面に執事しつじ
藤原俊兼、祐筆ゆうひつ 盛時などの問注所衆が、むずかしい顔と威儀を居ならべていた。 ここに引き据えられた者は、荒胆あらぎも
の男でも竦すく み上がると言われている。あたりの様と、静の姿とは、余りにも、そぐわなかった。──
俊兼たちは、しばらくかの女の落ち着きを待つ風だったが、やがて吟味の語気には、仮借かしゃく
もなかった。 「静しずか
ノ御ご 、なぜ、まっすぐに、知る限りを申し上げて、早う御宥免ごゆうめん
の身とならぬか。今日は、偽りを言わせぬぞ」 「・・・・おことばではありますが、もう知る限りは申し上げ、つゆ偽りも、述べた覚えはありませぬ」 「六波羅での答えは、また、ここでの答え。すべて、伊予
(義経) どのから言われたままを、くり返しているのであろうが、。まるで、型で捺お
したような」 「・・・・でも、それしかお答えのしようもありませぬ。吉野の奥で、お別れを告げ、ひとり道をさまようて、蔵王堂ざおうどう
の僧に捕われたまでのこと」 「女人禁制の大峰。あれより奥へ行けぬのは知れたことだ。しかも大雪の中、一ノ鳥居まではともにいたとあれば、先々、落ち合う約束があったればこそであろう。ひと言、そこを白状せよ。──
後日、どこで会わんと約束して、別れたのか」 「なぜ、そまでお疑いなのでしょう。鎌倉風ではどうか存じませぬが、わが良人つま
は、女子のわらわへなど、御主従の大事をももらすお方ではありませぬ。よしやまた、後日の約をつがえようにも、おみずからさえ、どう越え行くか、分からぬものを」 「では、どう責めても、知らぬ存ぜぬで通そうという心か」 「知らぬものは・・・・」 「と、優しげに言うが、五日余りを、山上に逗留とうりゅう
中、一体、吉野の何者が匿かく
もうていたのか、その名も明かさぬではないか」 「お世話を賜わったお人の御恩にたいし、身に代えても、その人の名は、申されませぬ」 「それみよ。嘘うそ
と真まこと を、つかい分けているのであろうが」 「もしそのため、罪せられるなら、それも、ぜひもないことでございます。恩を仇でお返しするより、まだしも、心は救われましょう」 「・・・・ええ、なんのかのと、情じょう
の強こわ い」 交互に、責めていたが、俊兼も盛時も、やがては、あぐね果てた容子だった。 そしてつくづく、六波羅の調書も見直している風だったが、静が、ここへ来てから加えた事実は一語もなかった。これでは、なんのために、静母子の身を、わざわざ関東まで呼び下したか、意味がない。
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