“──
前予州
(義経) ノ行方、猶、訊問ジンモン
怠ルベカラザルノ儀、再ビ台命アリ。明ミヤウ
、巳ミ ノ刻コク
(午前十時) マデニ、問注所もんちゅうじょ
ヘ出頭アルベキ事” いかめしい召状めしじょう
を、静は、これで何度見たことか。 その都度つど
、彼女自身は、安達新三郎清経の屋敷から、輿こし
に乗せられて、幕府の問注所へと、こわれやすい物でも運ぶように、物々ものもの
しく運ばれて行った。 「ああ、春もいつか ── 」 と、輿の内で、彼女は眩まばゆ
い世間をのぞいて、暗く思う。 花も過ぎて、すでに四月も近かった。 今は主あるじ
のない堀川館の遅桜おそざくら
も、さぞ見ごろであろうに、良人おっと
はその後、どこに便りを絶っているものか。 さだめし、今日も問注所にひきすえられれば、 「── 義経は、どこにいる?」 と、やわらかな拷問ごうもん
に、責めさいなまれることだろう。 ひそかに、彼女は覚悟して出た。 知らぬものは、知らぬで通すしか答えはない。よし、下獄を命じられ、またどんな目に遭あ
わされようが、判官どのの想おも
い女もの と、ひとにも知られる身、嘲わら
われ者にならぬだけを、心がけよう。どこに別れていても、良人つま
はいつもこの胸にいる。その支柱ささえ
が心にあるかぎり、鎌倉の府が、なに恐ろしかろう。ただ、天命があるばかり ── と。 輿こし
は、扇谷おおぎがやつ を出、今小路から、賑にぎ
やかな大路をゆられていた。── 見まいとしても、輿の簾越すご
しに、織るような往来がつい眼にはいる。 先ごろから、この鎌倉へは、諸国の豪族が、おびただしく参府していた。 一名の豪族は、それぞれに皆、何百人もの、家来小者を引き連れている。で、宿所はいずこも、ごった返し、鎌倉中の人口は、日ごろの倍にもふえているという。 ──
従来の、朝廷による土地支配が廃された。そして、幕府下の守護地頭制が、今年から全国的に布し
かれたのである。そのため、新たな任命を受けた国々の武門が、争って、 “── 御礼參府” と称し、本領ほんりょう
安堵あんど の恩命に、二心なき旨を、頼朝の拝謁はいえつ
にちかって帰国する流れであった。 勝者の門の、かばかりな繁昌も、静の眼には、孤独な身と、異国の府を、ひとしお痛切に思わせる以外の何ものでもない。またされに、こうした鎌倉の確立と、今日の繁栄とは、いったいたれの功によって成ったものか。鎌倉どのお一人の功に帰していいものか。──
静は、うな垂れがちなその面にも、ひそかな唇を噛か
まずにいられなかった。 輿はいつか、問注所のいかめしい門を入っていた。 ── 降ろされる。 「輿を出よ・・・・」 おt、叱咤しった
される。 同時に警固の武者が、白洲口しらすぐち
の中門へ向かって、大声で告げわたしていた。 「お召出しの静御前、ただ今、連れまいりました。静御前、これへ参りました」 |