〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/08/02 (土) 五 ツ つきおび (一)

“── 前予州ゼンヨシュウ (義経) ノ行方、猶、訊問ジンモン 怠ルベカラザルノ儀、再ビ台命アリ。ミヤウコク (午前十時) マデニ、問注所もんちゅうじょ ヘ出頭アルベキ事”
いかめしい召状めしじょう を、静は、これで何度見たことか。
その都度つど 、彼女自身は、安達新三郎清経の屋敷から、輿こし に乗せられて、幕府の問注所へと、こわれやすい物でも運ぶように、物々ものもの しく運ばれて行った。
「ああ、春もいつか ── 」 と、輿の内で、彼女はまばゆ い世間をのぞいて、暗く思う。
花も過ぎて、すでに四月も近かった。
今はあるじ のない堀川館の遅桜おそざくら も、さぞ見ごろであろうに、良人おっと はその後、どこに便りを絶っているものか。
さだめし、今日も問注所にひきすえられれば、 「── 義経は、どこにいる?」 と、やわらかな拷問ごうもん に、責めさいなまれることだろう。
ひそかに、彼女は覚悟して出た。
知らぬものは、知らぬで通すしか答えはない。よし、下獄を命じられ、またどんな目に わされようが、判官どののおももの と、ひとにも知られる身、わら われ者にならぬだけを、心がけよう。どこに別れていても、良人つま はいつもこの胸にいる。その支柱ささえ が心にあるかぎり、鎌倉の府が、なに恐ろしかろう。ただ、天命があるばかり ── と。
輿こし は、扇谷おおぎがやつ を出、今小路から、にぎ やかな大路をゆられていた。── 見まいとしても、輿の簾越すご しに、織るような往来がつい眼にはいる。
先ごろから、この鎌倉へは、諸国の豪族が、おびただしく参府していた。
一名の豪族は、それぞれに皆、何百人もの、家来小者を引き連れている。で、宿所はいずこも、ごった返し、鎌倉中の人口は、日ごろの倍にもふえているという。
── 従来の、朝廷による土地支配が廃された。そして、幕府下の守護地頭制が、今年から全国的に かれたのである。そのため、新たな任命を受けた国々の武門が、争って、
“── 御礼參府”
と称し、本領ほんりょう 安堵あんど の恩命に、二心なき旨を、頼朝の拝謁はいえつ にちかって帰国する流れであった。
勝者の門の、かばかりな繁昌も、静の眼には、孤独な身と、異国の府を、ひとしお痛切に思わせる以外の何ものでもない。またされに、こうした鎌倉の確立と、今日の繁栄とは、いったいたれの功によって成ったものか。鎌倉どのお一人の功に帰していいものか。── 静は、うな垂れがちなその面にも、ひそかな唇を まずにいられなかった。
輿はいつか、問注所のいかめしい門を入っていた。
── 降ろされる。 「輿を出よ・・・・」 おt、叱咤しった される。
同時に警固の武者が、白洲口しらすぐち の中門へ向かって、大声で告げわたしていた。
「お召出しの静御前、ただ今、連れまいりました。静御前、これへ参りました」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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