「医師
どの。医師どの。たいへんでございますがな。まだ御存知ではございませぬか」 その日。 麻鳥の家の柴折戸しおりど
へ、あわただしく、駆け込んで来たのは、先日、禅尼ぜんに
の使いでここへも見えた、あの農家の小旦那こだんな
であった。 「── 早朝でござりました。禅尼どののお住居から、急いで来てくれとのこと。何事かと、飛んで参りますると、静さまが、てまえを奥へ誘いざな
い ── 鎌倉の召しで、すぐ立つ身、今は何をいうている暇もない、ただこれを、麻鳥どのへ、手渡して給た
もれ、── と仰っしゃるではございませぬか」 「何、何。では、静御前しずかごぜ
には、鎌倉へひかれることになったのか。それや、知らなんだ・・・・。今の今まで」 「ご無理ではございませぬ。近所のてまえどもでさえ、余りにも突然なことに、お名残を惜しむ暇もなかったのでございました・・・・。わずかなすきに、静さまからのお言伝ことづ
てをうけ、その品とお手紙とを、これへお届けに上がりましたようなわけで」 「では、あわただしいそのお立ちの際に」 「はい、それも、迎えの六波羅衆が、早く出よと、家の外で、がやがや急せ
き立てているのもよそに、よほどな、御一心か、お筆を走らせ、そして・・・・この一事さえ、麻鳥どのに頼みおけば心残りはない、と」 「どれ、どれ。お見せください、その文ふみ
を」 「お手紙に添え、この一品も」 彼は、大事な預り物を、届け終わると、後の話にも、落ち着かず、すぐそそくさと、帰ってしまった。 どんな秘事かと、麻鳥は、彼が去るまでは、それを解かなかったが
── その後で、ひとり密ひそ
かに、机にのせて、開いていた。 |