医師として、それからの彼は公然に、静母子の家をおりおり見舞った。──
ある日は、妊婦によい薬餌
を持ち、ある日は手ぶらでも、心に心からなものを持って。 そして麻鳥は、静の母へ、そっと、こうも注意しておいた。 「静しずか
ノ御ご の懐妊かいにん
も、医師の自分ならこそ察しられる程度です。当分、人には秘めておかれた方がおよろしいでしょう。もし六波羅へ知れたら、この家の監視も、一重ひとえ
の垣かき が二重ふたえ
にもなり、わけて義経君よしつねぎみ
のおん胤たね とあっては、禍わざわ
いは覿面てきめん 、吉よ
いことはありますまい」 と。 しかし、これだけでは、彼の忠言も、禅尼や静の今を、何一つ救う光にはなえい得ない。むしろ途方に暮れている母子を一そう暗澹あんたん
とさせてしまうに過ぎないだろう。 で、麻鳥は、半ばはかない恃たの
みと思いながらも、静へ向かっては、 「義経君への、きびしい追捕ついぶ
も、月日を待てば、必ず、ゆるやかになりましょう。もともと御兄弟のこと、鎌倉どのとて、やがてはお心もやわらぐに違いない。なべて眼ま
のあたりのことは、うごかし難い、また、変わるなき鉄則に見えますが、どんな現実というものも、じつは間断なく変っています、変わるなと願っても、推移せずにはおりませぬ。人の境遇も、人お互いの心も」 と、いつまで、今が今のままな悪状況にあるはずもないからと慰め、そして、 「──
あれこれと、お悩みの余り、体の御養生を、おろそかになされますな。身二つとおなりあるまでは、われのみのお命ではない。五ツ月六月むつき
ともなれば、なおのことです。母胎が美を見れば、胎児にも美を映し、母胎が悲嘆すれば、胎児の性質さが
にも不幸な痣あざ を印しる
しましょう。せっかく、義経ぎみのおん胤たね
を宿した女冥加おんなみょうが
、末愉しみに、世へお望みを失わずに」 と、励ましたりした。 ところが、彼の言う “間断なき現実の変化” はさっそく象かたち
をとって、数日後に、現れて来たが、それは、 ── 静母子を、鎌倉へ送り下くだ
せ。 とある頼朝の召め
しだった。 即日、東嵯峨の小さい家を、荒々しい人馬が取り囲んでいた。そして静母子の身柄を、一たん六波羅ノ庁へ拉らつ
し去った。 まもなく、追立おった
ての列が、二つの箱輿はこごし
の前後について総門を出た。比企ひきの
麻宗の手勢も警固の中に見える。わざと、列は大路の人なかを謳うた
い渡して、ひろくうわさを撒ま
きながら、やがて海道へくだって行った。 |