客は、素朴な農家の小旦那
。 麻鳥の前に、もじもじすわって、 「ついこのお近くまで、用事で参ると申しましたら、禅尼ぜんに
どのが、ぜひ立ち寄って、お願い申してくれとの、お言伝ことづ
てでござりましてな」 と、一言ごとに、頭を下げて言うのであった。 「それは、御苦労な。どなたか、わしに診み
てくれいと仰っしゃるので」 「はい、はい、たぶんなかなか来てはくださるまいかと、禅尼どのも、とつこうつ、お考えでございましたが」 「御病人とは、そのお人か」 「いえ、禅尼のおむすめ御ご
の方なので」 「むすめ御ご
」 「・・・・へい」 と、急にまた、男は肩をせばめ、外や内を、見まわしながら声をひくめた。 「そ、その、御病人とは、静しずか
御前ごぜ でござりまする。何せい、沙汰ある日までと、北条殿からお預り中のお体。むかしの知るべすら、後日を恐れて、立ち寄ってはくれませぬ。──
てまえは近くの農家ゆえ、お気の毒なと、まあ朝夕に、畑の物など、そっと、お届け申し上げている者でございますが」 「ありがたい。それは、ようしてくだすったの」 ──
聞かぬうちから、予感はしていた。 麻鳥は、たれか代って、使いの百姓に、礼を言わずにいられなかった。 自分でさえも、心には始終ありながら、近づき得ずにいたのである。──
吉野で捕まり、六波羅ノ庁で吟味をうけた後、母の手許に、身柄預けとなっている ── という評判は、隠れもないので、耳にしていた。 けれど、禅尼のその家も、六波羅兵が、日夜、番に付いている。静御前は、閉じ籠ったきり、一度も外へ顔さえ見せたことはないとか。 何かと、耳にするうわさにつけ、ヘタに近づいては、かえって、母子の不為ふため
にあろう。自分とても、六波羅の注意人物 ── と、さし控えていたところだったのだ。 「伺いましょう。お連れ下さい」 麻鳥が、さっそく、座を立つと、 「えっ、お越しくださいまするか」 こう、たやすくとは、使いの男も、意外だったらしく、よろこび転まろ
んで、先に柴折戸しおりど の外へ出て待った。 蓬は、聞いていたらしく、 「いいんですか。お出かけになっても」 と、六波羅の思わくを、ひどく恐れるもののような、不安をこめて、 「このうえに、もしもの災難でもかかったら、どうするんです。わたくしも生きてはいられません。お断りしたって、いいではありませんか」 「そんなことは出来ないよ」 「あなたに言えないなら、わたくしがお使いの者へ、断ってあげますから」 「よけいな差し出口をするでない。ほかのことでは行けないが、わしは医師だ。医師にはどんな関門もない」 「でも、、六波羅ノ庁が、邪推して、お疑いをかけまいものでもないでしょう」 「かまわぬ。医の大道を行くぶんには、恐こわ
いものは、どこにもない。ひかれても、立派に庁でわしは言えよう。心配は無用だよ。お前が心配顔すると、ごらん、円まどか
までが、あんな悲しそうな顔をする。── 円、おとなしく、お留守をしているのだぞ」 麻鳥は、みずから薬籠やくろう
を手に、待たせた男を、先に立てて、柴折しおり
を出た。蓬が不安そうな眼で見送っているのにひきかえ、麻鳥の方は、いそいそした足どりにさえ見える。 |