「まあ、そう剣
もほろろに、お怒りではない。おまえの方が、一応たれものいう道理だがね。けれど、性分なんだ、わいの思いは。よこ ── あいにく、保元、平治、治承、養和、寿永という稀有けう
な時代に大人となって、この地上にともども生きて来てしまったもんだから、自分だけは悪因も作っていない、罪もないと、ひとり超然ちょうぜん
といい子のなっていられない気持なんだよ。といって、わしになんの償つぐな
いも世に出来ないこともよく分かっているのだがね。・・・・祈りさ、ああただ、祈りさ、わしの思いは」 「変わってますよ、ななたという人は。女房子の幸さち
は、ちっとも祈りはしないで」 「そんなことはない。わしとて親だ、おまえの良人おっと
だ。だがね正直、この間じゅうから、わしは、人間というものが、ほとほといやになりかけて、困っている。すこし気鬱症きうつ
に罹かか った気味だ。癒なお
さなければいけないと思っている」 「どうしてですか」 「壇ノ浦以後、世の成り行きが、こうとは、わしも思わなかった。世の物を、焼きに焼き、人の屍かばね
を積みに積み、あれほどな修羅しゅら
も、これでまあ、ほんとの泰平に回かえ
るなら、ぜひもない犠牲かと、眼をつぶって念じていたら、なんのことはない、半年も保も
ちはしなかった・・・・」 「だって、わたくしたちのせいではない」 「せいではなくても、禍はかかって来る。無力な民の災難は、名のある者の没落や討死よりも、どれほど多いか。──
嘆いても嘆き足りぬことだが、鎌倉どのが今のようでは、再び何が起こるやら、空恐ろしい。人間がみな獣けもの
じみて見え、子の世の中までいやになる」 「まだ、戦いは、続くんですか」 「一に判官どののお胸だが、いかに忍従なお方でも、余りに辱じしめられ、追いつめられれば、人間、生きるために、どう猛獣に一変しないものではない。──
いや、こんな始末では、鎌倉の府自体も、長くは保ついまい。せっかくな勝者の府も、民の望みにこたえず、かえって、驕おご
る者と驕る者の争いが、みずからの鎌倉を、猜疑さいぎ
と讒ざん と陰謀の府にしてしまわなければ倖せだが」 古女房のありがたさである。人にはもらせぬおんな鬱気うつき
も、蓬なればこそ、おもしろくない顔はしていながらも、聞いてはくれる。── と麻鳥が気がついて、苦笑の下に、口をつぐんだ時だった。 表の柴折戸しおりど
の口で、しきりに、 「医師くすし
の阿部麻鳥あべのあさとり どのと仰っしゃるのは、こちら様でございましょうかの。──
東嵯峨ひがしさが に住まうお知る辺べ
の御病人から、頼まれて来た近所の男でござりまするが」 と、おとずれる客の声がしていた。 |