かの女の跫音
に、暗い納屋の内から、ぴょんと、犬の子みたいに、飛び出した子があった。 麻丸の下の、ことし十二、三になる女の子、円まどか
であった。 「たいへんよ。おかあさん。たいへん」 と、円は、口をとがらせて告げた。 「── お兄さんの汚い着物や袴はかま
が・・・・。ほら、ほら、あんな所に捨ててある」 「え、麻丸の着物が」 蓬は、驚いて、中へ駆け込み、べつな物置き棚を見まわした。そこらも、引っくり返されてある。 かねて良人おっと
が、堀川どのからいただいたまま、ろくに着もせず、仕舞っておいた真新しい狩衣かりぎぬ
と袴。それから太刀なども、見当たらない。 「きっと、お兄さんだ。そこの土を掘った泥棒も、お兄さんかも知れないや」 無邪気な声の似ていたが、円まどか
の言葉は、母親の胸を突き刺した。 もいちど、蓬は、机の奥へ、甲高かんだか
く呼びたてた。 ── 麻丸がと聞くと、こんどは、かの女の良人も、聾つんぼ
ではなかった。直ぐ飛び出して来、口をそろえて、妻や円が、麻丸の仕業しわざ
と誹そし るのを聞きながら、かれもやや平静を欠いた面持ちだった。納屋の内や外を、泣きたいような眼で見返した末、 「・・・・一人じゃないね」 ぽつんと言ったきり、あとは茫然ぼうぜん
と、腕組みしている麻鳥だった。 「え。大勢ですって」 「日蔭の土をごらん。小さい跫跡あしざと
が、やたらに残っているじゃないか」 「じゃあ、麻丸が餓鬼の大将になって、以前、うちにいた悪い子たちを、引っ張って来てやった仕事かも知れませんね」 「多分、そんなことだろう。・・・・だが、よその家でなくてよかったよ」 「お金ばかりか、太刀や狩衣まで持ち出して。・・・・今に何を仕でかすやら知れたものじゃありません。ああとんでもない子になってしまった。それもこれも、あなたが、自分の貧乏や子どものことは考えず、ひとのおせっかいばかりに暮れていたからですよ」 「今さら、そんな繰り言をいってみたって、どうにもなるまい」 「親として、これが酒しゃ
ア酒アとしていられますかね。わたくしは・・・・わたくしは、くやしい。あんな良い子を、大それた盗みをするような子にしてしまって」 蓬は、袖口を噛か
んで、泣きじゃくった。そばへ寄り添って来る円まどか
を抱き寄せて、また、 「ね、まどか。おまえだけは、そばにいておくれ。お父とう
さんが、ああなので、子どもにまで、あいそを尽かされてしまうんだよ。家さえ、困らなければ、麻丸だって、悪い方へ逸そ
れるはずのない子だもの。だけど、医師の技わざ
はありながら、お父さんって人は、貧乏が性に合っていて、好きこのんで、わたくしたちにまで、ボロを下げさせているんだからしょうがない。何かの因縁だろうと、おかあさんも、あきらめてはいるけれど・・・・」 円まどか
へ言っているのだが、じつは良人への恨みつらみな愚痴でしかない。いいつのる女の愚痴というものは、どこかに持つ、幼稚な憐れさを男に催もよお
させ、男をして、突然、滑稽こっけい
な感に耐えなくさせるものでもあった。 |