「あなた・・・・。あなたってば。聾
じゃないんでしょう、あなたは」 蓬よもぎ
も、いつか四十を越えると、どこの古女房とも違わない、型通りな古女房となっていた。 良人おっと
の麻鳥あさとり のたまらない顰蹙ひんしゅく
は、常にその語感からも来るものらしい。いちいち気を突っつかれていては、自分が助からないのである。わざと麻痺まひ
に努め、これも世間にザラな古亭主の横顔を、きめ込んでいた。 「・・・・ち、うるさい。読書の間ぐらいは、放ほ
っておいてくれないかなあ」 「うるさければ、返辞をなさいな」 「この通り、返辞はしているではないか。なんだ、用とは」 「ちょっと、来てみてくださいよ」 「どこへ」 「いま、納屋なや
へお漬物つけもの を出しに入ったら、大きな穴が掘られているんですよ。納屋の地べたに」 「もぐらだろう。もぐらならどこでも掘るさ」 「あなたじゃないんですか。下手人げしゅにんは」 「知らん。わしは納屋へなぞ入ったこともない」 「じゃあ、たいへんだ。あなたでなければ盗人ときまっている。去年こぞ
の冬、堀川の判官さまが、都をお立ち退の
きのさい、長い間、陣医として、よう勤めてくれたと、沙金さきん
一包みを賜わったでしょう」 「それは、おまえの手に、そっくり預けておいたろう」 「ですからさ。お部屋へおいても、自体忘れっぽいあなただし、年暮くれ
はなお物騒だしと、考えあぐねて、納屋の土に埋い
けておいたんですよ。それが、壺つぼ
だけで、中身なかみ は失な
くなっているじゃありませんか」 「失くなった物はしようがない。たれかが嗅か
ぎつけたものだろう」 「冗談じゃありませんよ。あれだけのお金、一生かかったって、二度と見ることも出来ないほどな物でしょう。ま、来て見てくださいな、ああ、どうしよう」 「行って見たって始まるまい。盗まれた物が返るわけもなしさ」 「ほんとに、あなたが持ち出したのじゃないんですね。正直にいってくださいよ、正直に」 「ばかも休み休み言いなさい。なんでわしがそんな真似まね
をするか」 いわれてみればそれに違いない。良人は、お金を拝領して来た時でも、金の量目を量はか
るでもなく、 「これは、わたくし事に費つか
ってはならぬ。いつか時を見て、貧しい人たちのために費うのだから仕舞っておけ」 と、自分へ手渡したきり、どこへ措いたとも、ついぞ訊たず
ねもしない人だった。 蓬よもぎ
にすれば、もとよりの貧乏世帯、そのうちの少々でも、暮らしにまわしたさはやまやまだったが、良人の律義りちぎ
が許すはずもなし、何よりはまた、まもなく義経の大物だいもつ
ノ浦うら 遭難という世の騒ぎが起こり、この小屋へも、東国兵がやって来て、 「なんじら夫婦は、判官どのより、格別お目をかけられていた者の由。もしや由縁ゆかり
を頼って、堀川の身内の者が、これへ頼って来てはおらぬか」 と、朝に夕に、うるさい詮議せんぎ
立てだった。 その嫌疑けんぎ
では、麻鳥も、たびたび出頭を命ぜられたほどだったが、六波羅将士の内には、かつて壇ノ浦で、麻鳥の医手にかかった者もあり、まず事なきは得たものの、蓬は、もし拝領の金を見つけられてはと、あわててそのおり、納屋の土中に深く埋け込み、漬物桶つけものおけ
やら雑具などを上にかぶせて、いつか、それを忘れるほど、日は過ぎていたのである。 いや実は、そんな顧慮もしていられない心配事が、またまた、内輪に起こってもいたのだった。 というのは、ある夜、ここを頼って来た主従三名の男女がある。それは
── 和泉いずみ の御陵守みさぎもり
の長おさ に匿かく
まわれて、久しいこと療養のあげく、田舎娘に仕立てられて、吾野あがのの
余次郎、渡辺番つがう の二人に守られて来た北きた
ノ方かた の河越殿 (百合野)
であった。 夫婦は仰天した。 ここは危ない。わざわざ、追捕ついぶ
の網の中へ、われから入って来たようなもの。 でも、夫婦は心を協あわ
せて、誠意を見せてはいたが、余次郎や番つがう
の考えでも、しょせん長居は危険と知り、再び、御方を牛の背に乗せて、ただ、 「── ひとまず、木曾路へ」 とのみ、言い残して、立ち去った。 木曾には、河越氏の縁家がある。百合野の兄河越小太郎も、堀川離散のさい、木曾へ行ったことかも知れない。という百合尾野の思案に、にわかな宿替えを、思い立ったものであろう。──何はともあれ、その人たちを送り出した後では、麻鳥夫婦も、ほっと、胸なで下ろしたことだった。 |