〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/07/26 (土) しずか め (三)

覚悟していた吟味の日が来た。
白洲しらす ではなく、細殿の外の、広床だった。
時政は、円座えんざ (敷物) にあぐらし、左右に武者をおいて、ぎょろと、静を一瞥いちべつ したが、すぐ相好そうごう をやわらげて、
「そなたが、伊予殿 (義経)しょうしずか か」
と、型の如く、たず ね、
「あらましは、吉野執行の届け出にてにて、知れておるが、一応、そなたの口からじか きたい。── 去月六日以来のことども、つつみなく、申し立てい」
と、かの女のうち にうごく心の色を、じっと、見すましながら言った。
これまで、自分にも気づかずにいた自分が静の中に生まれていた。 「今日の吟味は、わが良人つま のお身にとっても、一大事」 と、自分にもいいきかせてすわったとき知ったのである。
身は元、白拍子でこそあれ、判官義経どのと、二世をちぎ った者。愛する良人おっと を、悲運から悲運へ追い落とした鎌倉の代人と、初めて、相見合う座でもある。
わら われまい。もし自分が世の嘲いをうけたら、なんぼう、わが良人つま も口惜しくおぼ されよう。── わけて、対する北条殿は、頼朝公の奥方の父親とか。
「・・・・はい。何事も、つつみのう申し上げまする」
悪びれた風もなく、かの女は、こう自然に、もいちど、両手をつかえた。そして、時政の顔を見直した。白髪交じりの横鬢よこびん から少し離れた皮膚に、松かさのような大きな老いジミがあった。時政は、かの女の眼に出会って、眼皺めじわ の中のひとみを、ふと、まぶ しそうにした。── うらやむべき麗人を判官は持ったものだ ── などと、このばあいに、あらぬ妄想もうそう が、ふと彼の頭を ぎり抜けていたのかもしれない。
静は、自分でもふしぎなほど、よど みもなく、答えられた。
「・・・・なべてのこと、ただ、恐ろしい夢のようでございまする。大物だいもつうら の風浪に、散り散りとなりはべ り、その夜は、四天王寺の廻廊に夜を明かしましたが、わが良人つま とは、それより前に、磯べで、お別れいたしました」
「後日の約束を交わしてか」
「はい。そのおりのお言葉には、一両日もせば、四天王寺へ迎えをやらん、もし両三日も過ぎてなお、迎えの者がおもむ かぬせつは、義経の前途に、難儀の起こったものと思い、いずこへなと逃げ隠れよ、との仰せ。── それをたの みに、ひたすら待ちはべ るほどに、やがて、迎えの家臣が見えました」
「むむ。そして」
案内あない の朗従に伴われ、道三日ほどを経て、吉野へ行きつつ、情けある一院の房に、五日ばかりは、良人つま と一つに逗留とうりゅう しておりました。・・・・そして、やがてまた、別るる日が」
思わず、嗚咽おえつ に負けそうになる。かの女の白いのど くびに、息をあえ ぎがうごく。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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