時政は、一語も聞きもらすまいとしていたが、すかさず、問いを入れた。 「五日の間も、ただ二人して、寺の奥に潜
まっていたのか。その一院とは」 「土地ところ
も知らず、寺々の名とて、わきまえませぬ。何と申した寺房やら」 「五日もいて、知らぬはずはあるまいに」 「耳にしたかも知れませんが、今は、思い出せませぬ」 「忘れたと申すのか。ならば、まあよい。その先は」 「やがて、衆徒の間にも、判官どの山上にあり、搦から
め捕と らではとの喧かしま
しい取沙汰。ぜひなく、十六日の夜、そこを立ち出で、吉野の奥へ落ち行きましたが、大峰への道は、女院禁制の境とて、わらわは、そこから帰されました」 「そうか。しかし、ただは戻るまい」 「・・・・とは、どういうお訊ねでございますか」 「何か、伊予どの
(義経) との間に、後日を約したことであろうが」 「男女の仲、これきりぞとは、別れませぬ。いのちを保って、いつかはまた、どこかで会おうとは契りました」 「そういうことではない。何日いつ
、どこで」 「なんで、そのような約束が交わせましょう。明日を知れぬお互いの身。道さえない、雪の深山みやま
のお別れでした」 「でも、それより、伊予どの主従、どこをさして、落ちて行ったか。また、身を寄する先ぐらいの話は、二人の間であったろうが」 「いえいえ、まったく、その後のお行く先は、ゆめ、存じ上げませぬ。ぜひものう、お別れ申して、蔵王堂の近くまで、さまよい来るうち、執行のお手に捕われて、そのまま、暗い一房に押お
し籠こ められ、夜も日も、ただ泣いておりました」 時政は、うなずかない。 かの女の調べは、根気よく、続けられた。静に、疲れの色が見え出すと、休息を与え、また引きすえて、初めから、訊き直すという風だった。 けれど、かの女の答えは、一歩も、初めの言から、変わりもしなければ、出もしない。ついには、時政も、その範囲の調書をもって、一応、事の顛末てんまつ
を、鎌倉へ報じおくしかないと観た。 そして、静の身は、 「当座、磯ノ禅尼に預けおく」 と、洛外の老母の家へ、下げ渡された。 世間の眼は、六波羅から洛外の小家へ移った。──
「北条殿は、情けあるお人よ」 と彼らはうわさした。 だが、静には、まことの情けとも思われない。母の側へ帰れたことすら、あたたまる気はしなかった。他人の小声は、耳にいたく、そのくせ、義経の消息には、極度に心を研ぎすまし、身は冬野の東嵯峨に閉と
じ籠こも ったまま、世間に顔も見せなかった。 |