〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/07/23 (水) しずか め (二)

ひと口に、老獪ろうかい といっては、彼に対して、あるいは当らない言葉かも知れない。
北条時政の、六波羅在庁中評判は、極めてよかった。
上層からは 「── 政務を るや、よく人心を治め、世のかん たるに足る」 と評され、一般からも、 「思いのほか、苛酷でもなく、威張りもせぬ。物分りのよい北条殿」 と、だんだんなつ かれていた。
これを見ても、彼は単なる地方的人物ではない。婿頼朝の輔佐には、大江広元のような中央的智識を配し、彼は、彼独自な才腕を めて、日ごろはわざと、表に立たずにいたのではあるまいか。
たまたま、こんど初めて、朝廷との重大な折衝に当って、その風貌ふうぼう を大きく世上へ示したことから、堂上でも、彼への認識をあらたにし、
「なるほど、鎌倉どのも、政子夫人には、頭が上がらぬとか、よく言われておるが、その政子夫人の親だけのものはある。何せい、北条と申すは、容易ならぬ人物らしい」
と、言われ出していたのである。
素に彼はまた、今度の静の裁きにも、不用意には、臨まなかった。
当然、静のうわさは、
「判官どののお側女そばめ が、六波羅の庁へ捕まって来たそうな」
と、都じゅうに拡がっている。
以前は、君立ち川の名花であったといい、また、舞の上手であるといい、さらには、義経の踪跡そうせき も絶えて知れない今。── 庶民注視のまと だったのはいうまでもない。
「ゆるやかに、身の養生もさせ、心の落ち着いたところで吟味しよう。もともと、義経の与類よるい といっても、とが はかろい女房のことだ。いたわってやるがよい」
時政は、至極、寛大だった。
かの女は、ろう 部屋べや にこそ置かれたが、湯浴み化粧もゆるされ、衣服も新しいものを供された。
のみならず、数日後には、思いがけない人に訪われて、ただ二人きりの対面を許され、かの女は、その人を見るやいな、嬰児えいじ のように、泣きくずれた。
洛北の東嵯峨ひがしさが に、その後、ただひとりで暮していた母のいそ禅尼ぜんに であった。
「・・・・おかあさん」
しがみついて、ただ、身を揉むばかり、むせ んでしまう静であった。たとえば、はぐはぐ れて疲れ果てた子が、闇の中に、ふとわが家の灯を見つけたような慟哭どうこく だった。
「ああ、おやつ れだこと、静よ、もうお泣きでない。ようまあ、無事で・・・・」
母の禅尼にしてみれば、死んだ子が、生き返って来たようなものである。ともに泣いてはいても、むしろ、うれし涙といってよいものだった。
「のう静。もう何事も、宿世すくせ の約束と、あきらめたがよい。北条殿も、このおうな へ、ねんご ろに、おさと し給うて、いわれたげな。── おうな よ。むすめの一命は、わしがきっと、助けて取らせる。案じぬがよいと。・・・・なんと、ありがたいお言葉であろう。余りの嘆いて、このうえ体をそこねぬがよい」
「・・・・・・」
「過ぎた日は、夢を忘れ、ただ体を大事に、気を取り直して も。・・・・そして、御吟味のあったせつには、もう何事も、つつみ隠さず、知る限りのことを、北条殿へ申し上げてしもうての・・・・。のう、静」
静は、涙のあふれが、急にどこかで、止まる気がした。
母の気持、母の願い、それち、自分の一念とでは、違いがあった。その距離を知ったとたんに、涙もとまり、べつな孤独が、かの女を一そう淋しい子にさせていたのであった。
でも、かの女は、
「・・・はい」
と、くち だけでは言って、くちびる を噛んだ。
得心してくれたかと思い、母の禅尼は、うれし涙をふき直した。
そして、言うには。
── これから先は、そなたも一つ家に暮せよう。また、白河にいたころのように、このおうな は、娘たちを集めて、鼓でも教えましょう。そなたも、いつまで、きなきなせず、気ばらし半分、元の君立ち川の灯に、返り咲きしてみるのもよいではないか。世間の口も七十五日。なにも、堀川どのの御側室に、こだわっれいることはない。かの君の御先途を見とどけようなどと念じても、しょせん、こうなっては無理、切れた糸。── それよりは、何もかも御吟味の日に申し上げて、北条殿のお情けをありがたいと思い、この老母をも、どうぞ、安心させて給われ。
磯ノ禅尼は、やがて帰った。
── その母の後ろ姿を、今日ほど、子として、浅ましく思ったことはない。静は、親をさげすむ自分の心が悲しくて、またわれながら、いじらしくて、後では、ひとり涙に沈んでしまった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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