〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/07/23 (水) しずか め (一)

その後、吉野の静は、蔵王堂本房の衆座に えられ、あらためて、執行しゅぎょう たちから、
「判官どのとは、どこで別れてぞ。どういい交わして、戻られしか」
など、さんざん、しつこい吟味ぎんみ に責められたことに違いない。
が、どう問われても、答えは、ひとつだろう。女人禁制の大峰口で、ぜひなく、別れたという以外、あとはただ泣き入るしかないかの女であったろうことも、察しられる。
それにしては、北条時政が、怪しいとにらんだ通り、以後半月も、なんで、蔵王堂に隠したまま、訴えもせず、おいていたのか。
静には、もちろん分からない事情であったが、蔵王堂内部にも、同情樋同情の両論があり、かの女の身の処分をめぐ って、
「放つべし、放つべし。せっかく、仏の御廂みひさし に抱かれた者を」
という者や、
「いやいや、事現れなば、後日の難、人のしょう などに、一山の運命など けなどしてよいものか」
と、つよい反対もあったりして、ついに、対立に日を過ごしていたものだった。
しかし、ふもとの宇智うじ宇陀うだ市来いちき の三郡は、由来大和源氏の淵叢えんそう である。この地方からは、かの新宮十郎行家の部下に せ加わった武士も少なくないという見地から、たちまち、追捕の手がまわっていた。
当然、山上の吉野へも、いつ捜査の手が伸びないとも限らない。いやそれはすでに迫っていた。今は一婦女子に、あわ れをかけている場合でもないと、にわかに、都へ僧をやって、訴え出たものらしい。
日ならずして、ここへ臨んだ北条時定と六浦義兼たちは、
「一々の申し状、まったく、それに相違ないか」
と、丹念たんねん に、個々の者から、口書を取り集めた。
また、義経主従が落ちたという大峰入りの峰道も実地に踏んだ。
さらに、佐藤忠信、堀弥太郎の二臣が、主の身代わりに立って、逆に、寄手の横川覚範を討ち、その両名も、山外へ逃亡したきり行方知れず ── という始末をも、仔細しさい に調べ上げたうえ、
「なぜ、都へ人を走らせるまでもなく、近郡にある追捕の将に、逸早いちはや く、通じなかったか。追っての沙汰を、慎んで待つがよかろう」
今は、静の身を、都へ差し立てて帰るのが、彼らの一番な任務であった。で、不気味な一言をあとへ吐き捨てて、軍馬の背へ、みの ぐるみにした靜を乗せて、たちまち、吉野の雪を踏み荒らして山を降りて行った。
ふもとの吉野川を渡って、南大和の人里へかかると、時定は、何思ったか、
「静の着たる蓑笠みのかさ いで、姿、おもて を、さら させろ」
と、部下へ命じた。
そして、田舎町や、部落の道へかかるたびに、兵たちをして、わざと大声でわめ かせた。
「これは元、都で名うての白拍子しらびょうし よ」
「後、堀川に囲われた、判官どののおももの
「吉野の奥で、判官どのとあい びきを重ね、雪の中へ捨てられて、今は、都へ引かれ行く途中ぞ。そのしずか 御前ごぜ とは、この女性ぞ」
── こう触れ歩いたから、たちまちうわさが遠近にひろがって、義経主従も、その辱に耐えず、あるいは、静を奪い返さんとして、途上に現れて来るかも知れない。
という時定のはかり だったが、三日ほどの道中、ついに何の異変も見えず仕舞いで終わった。そして、みぞれ空の十二月八日の夕、一行の兵馬は、六波羅口に入った。
ただちに、北条時政へ、旨を達し、やがて引き下ろされた静の身は、庁の端屋はしや に閉じ込められて、その夜は、きびしい監視に中におかれた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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